●2022年9月21日(金)17:00 僕は北大東島「北港」で砕け散る白波を眺めていた
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防波堤もない外洋剥きだしの港は、とてもふしぎな感覚










●大東諸島は船を係留出来る港が無い事で知られる
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島周囲が断崖絶壁で、埠頭(船舶を係留する施設)を建設できないためだ。

定期運航の貨客船も岸壁付近に錨泊(錨を下ろして船を固定)し、人も貨物もクルマもクレーンで上下船。

また、島周囲の潮の変化も激しいため「どの港に寄港するか」は、船の到着直前まで未定らしい。

※上の写真は島南部の江崎港での作業模様。









●岸壁付近の海面の動きはダイナミック
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ドーッ!と水がひいて岩礁があらわになったと思えば・・・










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すぐに潮が押し寄せてきて・・・










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あっという間に岩礁が見えなくなる。

平時でも、水面は2m近く上下していたりするかも。











●新鮮な景色
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24時間前の思いつきにも関わらず、なかなかいい場所に来てるぞ、今回は!











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(3)

「北大東島・夕照のBROMPTONくん」 篇
 










●さて、出発だ
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この「北港」から東回りで島を3/4周して、日没前に島西部の「鉱山跡」に移動したい。

港に下りる前に気づいた「荒れ道」はパスして先に進む。

「今回は荒れ道は絶対に走らん!!

絶対だ!」








(島の東:空港付近)
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やすらぎたい!

たまにはリゾートチックな「やすらぎの旅」があってもいいはずだ









(あやしげな脇道も、当然スルー)
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自分の限界が どこまでかを 知るために僕は生きてる訳じゃない!









●・・・お?
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●おおっ!
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絵にかいた様な離島の景色










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穏やかで、無人で、クルマや飛行機などの音などは勿論、鳥の声も、波の音すら聞こえない。









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こりゃあ・・・ホントに最高だ。

ミニベロで走るのに、ホントに最高の島だ。









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・・・何か見えてきた









●台風岩
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天地3.3m、幅4.6mの大きな岩。

案内板には「2009(平成21)年10月6日、台風18号の波風で地面から吹っ飛び、現在地の擁壁にぶつかって止まった」と書いてある。



『まあ、高浪で押し流されたんだろう』




大東諸島というと台風中継ではおなじみで、風速50m/s(時速180km)も度々聞く「本場」。

そんな追い風に乗って走ってみたい








(島の南:江崎港付近)
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北港同様、殺風景な岸壁があるのみ。









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このあたりからは、約15km南の「南大東島」がよく見える。

両島の間の海は水深1,000mを越える深さで、簡単にライフラインを結べる様なものではないという。

また、南大東島とのフェリーは就航日が決まっており、毎日の行き来もない。

1日1便の飛行機も片道6,000円強。

目の前に見えても、この海を渡るのは案外大変だ。










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●ん
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なにやら、いかつい施設。

島で、こういう雰囲気は初めてだ。









●おー
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港だ。

漁港っぽいぞ。







●北大東漁港
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2017年、島の断崖を大きく切り崩し陸側に彫り込んで築かれた漁港という。

日本中見ても、ここと南大東島にしか存在しない方式の港。

構内の水面は「全国各地の港と同じ様に穏やか」。

これが出来るまで、島には漁船を直接係留できる港が無く、出漁・帰港の度、北港の様な場所で「船をクレーンで出し入れ」していたという。

『この港造るのに莫大な土砂が出ただろうに、どうしたんだろう?』

島の周り埋め立てる様な事もしないだろうしな。気になる。











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この巨大な防波堤、5月の「三陸ポタ」で延々と眺めた防潮堤より頑丈そうだ。

海が荒れた際の「退避港」でもあるとの事。












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この島、派手さは無いが「地味に珍しいモノ」が多くて、退屈しない。

今まで、国内でポタ旅した場所の中で、一番僕向きかも知れない








(島の西:「上陸公園」)
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大東諸島を開拓した「玉置半右衛門」による開拓団が、北大東島に初上陸した場所。

時に、1903(明治36)年6月15日。

僕のじいさん(勿論、故人)が生まれた頃の出来事だ。









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玉置半右衛門は八丈島出身の実業家。

明治政府に許可をとって大東諸島に入植し、製糖業(玉置商会)を成して成功した。

それまでは無人島だった為、大東諸島は沖縄地域にありながらも琉球文化圏ではない。

島は商会によって社会インフラ整備も含めて「統治」される事となり、戦後、アメリカ軍政下となった時、北大東村・南大東村という行政組織が誕生されるまで、経営企業の変更を伴いながらも「私企業による統治」が続いたという。












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開拓団が初上陸したこの場所は、その後、レールがひかれて物資の運搬に使われたとか・・・。

こんなところにレールだって???

なんか嘘くさい。












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その「燐鉱石の鉱山跡」が、本日の最終目的地。

もう、間もなくだ~♪









●17:55 西港到着
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北港、江崎港同様に殺風景な「港」。

これで、北大東島の港はコンプリート。

そして、この港のすぐ上に・・・














●「KOU・心を洗う旅のテーマ曲(*v.v)。。」(猫叉Master「Fly far bounce」)













●おっ!
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それらしい遺構が見えてきた。









●燐鉱山跡
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夕日を浴びた、何かの廃墟らしきものが視界に広がる。








●旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
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文化庁「文化遺産オンライン」の内容を引用・抜粋しよう。


北大東島燐鉱山遺跡(キタダイトウジマリンコウザンイセキ)


■概要
主に化学肥料の原料として重要視された燐鉱石(りんこうせき)を採掘した鉱山の遺跡。

現在でも採掘場、日乾堆積場、トロッコ軌道、ドライヤー建屋、燐鉱石貯蔵庫、積荷桟橋、船揚げ場、火薬庫など、燐鉱石の「採掘」→「乾燥」→「運搬」→「貯蔵」→「積出」…に至る生産施設が大規模に残る。





■鉱山のデータ
開業:1919(大正8)年

閉山:1950(昭和25)年


経営者:
 1919→1927 東洋製糖株式会社

 1927→1945 大日本製糖株式会社

 1945→1950 米国政府(直轄)


生産量:
 大正末期 1万トン
 戦時中  7万トン



■評価
これほど大規模に燐鉱生産施設が残るのは北大東島のみであり、唯一国内に現存するものとして貴重である。

また、我が国近代農業を支えた燐鉱採掘産業の歴史を知る上でも重要である・・・(*v.v)。。











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何列も並ぶこのドームはトロッコの留置場(とめおきば)だったようだ。










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大正時代のコンクリなのかな。

だとしたら、僕は見るのは初めてかも知れない。










●変態の様にパシャパシャと写真を撮りまくる
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良い夕景だ

カメラのモニターでチェックすると、加工なしで、肉眼通りの色になってる気がする。

『クソ高いカメラを買った甲斐があった!』





いいぞ、いいぞ。





さあ、このカメラで廃墟の夕日をバックにBROMPTONくんを撮って、今日のポタをFINISHだ!!

















パシャッ!




















●なんじゃこりゃ
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地味っ

大した夕焼けがでなかったこの日の、まさに肉眼どおりの写真。

これなら、ギャラクシーやアイホンの様な「バリバリ加工スマホ」の方がマシな画になろう。



「トホホーっ!」




すっかり意気消沈した僕は、せめて晩酌を愉しむべく、ヨボヨボと宿に向かう



(つづく)






■次回

理想の夕焼けショットをGET出来ず失意のKOU!

しかし、大東諸島で僕が本当に撮影したかったのは「星空」だった。

晩酌を終え、再び島に繰り出した僕は、ちゃんと夜空を撮影出来たか?

それとも、ぶっつけ本番、いつもの様に失敗して寝込むことになるのか!?

次回、「絶海の小島・北大東の夜はふけゆく」篇。



※多忙のため、更新にはそれなりに時間がかかります。






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