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元プロレスラー、元国会議員の猪木氏が死去

上島さん、出井さん(Sony元社長)、ゴルビー、エリザベス女王など、ショッキングな死が多いと感じる2022年でも、最も衝撃なニュースだ。

・・・と、言っても、僕は「プロレスラー」アントニオ猪木については、正直、よく知らない。

僕がプロレスを見始めた90年頃、一線級を張っていたレスラーは鶴田、長州、天龍、谷津あたり。

その一世代前の猪木氏は正直よく判らなくて、「なんかうさん臭くてめんどくさいじじい」という漠然としたイメージしかなかったのだ。






それでも、「一応見に行こう」と思って足を運んだ引退試合・1998年4月4日東京ドーム大会(*v.v)。。

あれで、僕は猪木氏のファンになったのだった。

ただ、対ドン・フライ戦の内容は、正直全く覚えていない。





引き込まれたのは猪木氏のスピーチ。

そして、そこで詠んだ誌※だ。

その誌は、その時聞いた瞬間から今に至るまで脳に焼き付いて、離れない。







この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。

踏み出せばその一足が道となり、

その一足が道となる。

迷わず行けよ。行けばわかるさ。







超氷河期時代に社会人になって間もない頃、この言葉に出逢えた事は本当にありがたかった。

どこか胡散臭いと思っていた「元気があれば、なんでもできる」も素直に聞ける様になり、僕の原動力になる様になった。

間違いなくブラックだった会社に入社して、色々苦労しながら道を探す時にも、常に「道」は脳裏にあった。

苦しい時に、力が出る言葉。

今、僕がそれなりの立場にいられるのは、周りの人に恵まれた事もあったけれど、ずっとこの言葉が供にあったからに違いない。

勿論、「ロマン探求ポタ(*v.v)。。(海外ポタ)」でヘンテコな場所に出かける時にも、(めんどくささを押し切る)一歩を踏み出す勇気となっているのも間違いない。





もう一つの僕の好きな言葉

旅じゃありませんか、誰だって人間の生涯は

島崎藤村「老嬢」
とともに、死ぬまで共にあり続けるだろう。









●それにしても、全盛期の猪木をリアルタイムで見られた方はうらやましい

猪木アンドレ

今よりずっとアナログで、人と人の間隔も近くて、みんな汗臭くて、おそらく熱気もあったであろう時代に、その空間にどれだけのエネルギーがあったんだろう。

一種のノスタルジーと共に、そういう社会に「憧れ」を感じでやまない(*v.v)。。

そんなことを思いながら昔の写真を検索していたら、どうも今春、猪木さんの写真集が発売されていたらしいのを知った。



思わずポチッと買ってしまった。








●「アントニオ猪木最期の言葉」

ああ、やっぱり辛いなあ。

でも、自分が死ぬ時まで、精神は元気でありたいと思う。

もし、僕がそれを達成できたら、それは多分、猪木さんのおかげだと思う。

ありがとうございました🙏





※猪木氏の誌「道」について

この詩について、猪木氏は「一休和尚の言葉」と認識(猪木寛至伝)してアレンジしていた模様だが、レファレンス協同データベース(提供者-福井県立図書館)の調べでは清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の誌(初出昭和26年)がモチーフになっているらしい。







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