●昭和最後の日・・・昭和64年1月7日(土)
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『僕は何してたかしら?』

思い出してみると、中学生の冬休みの時だったな。

朝、起きようと思ってたら母親が部屋にやってきて、「昭和天皇が亡くなった」と言われ、

居間に行ってNHKのニュースを親と一緒に見たんだっけ。

前年秋口に昭和天皇が重体になり、連日各局のニュースでバイタルサインが報じられる様になって数カ月、

ああ、ついに亡くなられたのか・・・と思ったっけな。

と言っても、当時の僕は天皇家の凄さも社会の成り立ちも実感してないし、特段、感慨を感じる事も無かった。

その日のたしか10時過ぎ頃だったかお昼頃だったかに「次の元号が発表になる」という事で生中継始まって、

小渕官房長官(当時)がパネル掲げて「新しい元号は平成(へいせい)であります」とか発表した。

母親が「なんか、軽いねえ」と感想し、僕は「なんか平和そうでいいんじゃない?」とか言ったのを覚えてる。

あれから30余年・・・







●平成最後の日・・・平成31年4月30日(火)
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僕は珍スポ旅のYとともに飛騨高山に向かう途中の長良川SAで「令和まんじゅう」を眺めていた。

KOU:「同じ改元でも、陛下がお元気なうちの改元だとこうも雰囲気が違うものか・・・」

Y:「私は前回の時はまだ小っちゃくて、何も覚えてない」







●日本中自粛で静まり返った前回と違い、今回は日本中がお祭りムードになっているようで・・・
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KOU:「高山で『ありがとう平成 よろしく令和』の手筒花火大会???」

Y:「平成最後の晩ごはんするなら、高山に行きましょう







●・・・と、いう訳で、今回はB級ではなくS級スポットの高山への旅となった
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今年の4月30日は火曜日であったが国民の祝日とされてGWの1日となり、普段は外国人だらけの高山が日本人でごった返している。







●とりあえず、本日の僕らの目的は「大いに飲む事」だった
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まだ、15時だけど、高山の地ビールを飲み始めちゃう

平成最後の日に乾杯~

ゴキュゴキュゴキュ・・・><。 あひぃ、ウマい!!!








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Y:「KOUさんは、30年前の改元の時に想像した様な未来を過ごせているのかしら?」

KOU:「うーん

  まさか30年後、アタマの中身が子供の様な大人やってるとは、当時の僕は思ってなかったと思う

あの頃でも、今の僕みたく「未婚・子無し故の気ままな生活」を選んじゃう中年男はいたにはいたろうけれど、

おそらく職場でもプライベートでも「自堕落な遊び人」的に見られる事も多くて、肩身狭かった事だろう。

現在、僕の様な人間もそれなりに市民権を得ているのは、30年で社会の価値観・考え方が変わったからだ。

・・・それでも、僕みたいな田舎の凡人が中学生で将来像イメージするのって難しいんですよモグモグ(*v.v)。。













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KOU:「田舎に生まれた人間は、田舎にいるか都会に出るかで人生全然変わっちゃうわけだけど、

   こと、都会に出た後の人生のイメージなんて、何一つつかないわけで・・・。

   まあ、まさか兄弟3人とも、誰1人実家に戻らないとは思ってなかったけど」

Y:「あ、それ、フツーは、『お兄ちゃんが跡継ぎなさい』とかになるのでは?」

KOU:「ウチの母親は昔っから『男の子は家を出て当たり前。好きなトコに行って暮らせ』って、言ってたな」

その言葉がどこまで本気だったか判らないけど、結果、苦労して育てた3人の子はみんな家を飛び出し、

その1人の僕は、親に申し訳ないくらい本当に自由でいい人生を過ごさせてもらったと思っている。

今後、親の暮らしが不安になればすぐ僕が実家に戻ればいい。自由な身分はその為でもある。







ちなみに、ウチと対照的な経緯をたどったのがいとこの家だ。

上から長男・次男・長女・次女の4人のいとこきょうだいの両親はかなり前時代的な人で、

そのうち母親の方が満州浪漫ポタ2017で触れた僕の父方の祖母の娘(僕の叔母)だ。

昭和62年に亡くなった祖母は、孫である僕らにはとても優しかったのだが、

自分の次世代である叔母や僕の父、その嫁である僕の母には自分世代の価値観を強要する面があったらしく、

昭和60年頃に至っても、「とにかく長男は家を継がなければならぬ、嫁は家風(カフウ)を学ばねばならぬ・・・」等と、

本気で言っている様な人でもあったらしい(僕は、その側面を知らない)。

その価値観を強く受け継いでしまった叔母は、多分近しい考え方を持つ家に育った叔父に嫁いだのだが、

ばあちゃんの時代錯誤半端ない思想を、あろうことか自分の子供(僕と同世代)に忠実に教育しようとした結果、

当然ながら特に長男・次男と激しい軋轢を生み、2人とも成人してすぐに家を出てしまった。

そりゃそうだ。

社会の在り方も価値観もすっかり変わった環境で、50年以上も前の習わしを日常的にやれと言われても、

「荷物運ぶ仕事を始めるならトラックでなくリヤカーでやれ…家訓だから」と言われるくらい意味不明だ。

その後、時間による解決に期待した長男は結婚相手を両親に紹介しようと10年ぶりに実家を訪ねるのだが、

両親の思考は全く変わっておらず、まさかの「家風を学べ…」が出て大げんかとなり、勘当となってしまう。

挨拶にきて事の顛末をウチの両親に伝えた彼は、「もう、親の葬式にも顔を出さない」と言ったという。

従兄の気持ちを考えると本当にいたたまれないが、自分の親に諦めもついたのだろう。

そういえば、ウチの母は、昔叔母から高圧的に

「せっちゃん(母)、ちゃんとKOUちゃん躾けてる?うちは●●(従兄)をきつく躾けてるから大丈夫だけど」

・・・と言われ続けた事を、結構根にもっている。

母親:「今、言ってやりたいわあ 

  『うちはKOU(長男)もJ(次男)もY(三男)も元気でたまに顔出しますけど、義姉さんトコどうですか?』って」




また、『ウチの弟も紙一重だったな』と思う従兄もいる。

その従兄(僕の1つ上)は、とても気のいい男だったのだが、大学卒業後に就職に失敗、

フリーター生活が3年ほどになったあたりで厳格な祖父から叱責され(叱咤激励の想いもあったのだろうが・・・)、

家を飛び出し、以来、家族と折り合いが悪くなり、疎遠になっている

昭和の時代から似たような事はよくあったんだろうが、僕らの頃は就職氷河期で特に大変だった(と言われる)。

ウチの場合は一番下の弟が30歳過ぎまで非正規社員で「大丈夫かな?」と思っていたが、

本人の努力+家族の支え+ちょっとの幸運で就職、以降は目に見えて安定した様子となった。

何か一つでも欠けてたら、従兄と同じように疎遠になっていったのかも知れない。本当に、紙一重だ。







●16時頃、退位礼正殿の儀が始まった
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僕もYも興味があったので、飲み屋のテーブル上でスマホで生中継みているのだが、

他にそういう風にしている客は見当たらない。

まあ、これも、価値観が多様化している平成末の空気感と言えよう。








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退位を前にした陛下のお言葉や、そのご退出の様子に、期せずして涙がこぼれそうになった。

天皇家に生まれる方々が、生まれた瞬間から自由が無いお立場でありながらも、

国民のためになる事だけひたすら願って日夜ご公務に取り組んでる事を思い知ったのも、この30年だった。

勤労と納税の義務くらいしか果たさず、あとはひたすら「自由」を願い日夜気ままに生きる僕と対・極!

陛下、こんなクズな国民で本当にすみませんオウオウ

↑平成最後の自己反省







●GW中の帰省に向け、両親への平成最後のお土産を買いにいく
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親不孝を積み重ねた平成30年間最後のお土産として、それなりにいいものを買っていきたい。

飛騨春慶のお椀などは、色つやは勿論、手に取った時の質感で良さを感じられるひと品だと思う

左の2つは現代的にデザインされたもの、右のものは伝統的なデザイン。

左はデザインは面白かったけれど、持った時に滑って落としそう・・・。








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普段使いしてほしいので、安定感のある従来型にした。お値段1個8,000円、2個で16,000円。

これに、年配者でも使いやすく工夫された春慶塗のお箸2膳もつけて、合わせて20,000円

お店にあった近未来的な「そろばん付き電卓」で消費税も計算して、バッチリ。

両親の令和の毎日の食卓に、ステキな華を添えてくれる事だろう。

あとは「大切に保管していて特別な日に使う」とかじゃなく、日常使いしてもらえる様に言い聞かせればよい。








●平成最後の夕闇を迎える飛騨高山
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催しの時間が近づいてきた







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通りを通行止めにしての獅子舞が始まり・・・







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改元記念の提灯行列も始まる。







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市中心部を流れる宮川に行列が到着すると・・・








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改元記念の特別手筒花火がスタート

手筒花火は、大型の筒状の花火を人が抱え、空に向けて噴出させる東海地方でよく見られる花火で

高山でも真夏の風物詩だが、僕はナマで見るのは初めてだ。






●おお~
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なかなか美しい








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一本一本の花火は、しばらく吹きあがった後、筒底が「ボカン!」と抜けてフィニッシュとなる。

この日は令和30年間の感謝として30本(3本×10回)、令和1年への祈りを込めて1本の花火が舞い上がった。

KOU:「想像以上にいいもんだねえ

Y:「たまには珍スポじゃなくてこういうのも






●平成最後の晩ごはん(飲み歩き)は予想外の展開に・・・
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行きたかった寿司屋で並んで順番待ちしていたら懇意にしている市の顔役の方と出くわし、

2人まとめて割烹料理屋にお呼ばれされる事になった。

タダ酒・タダ飯頂けるのは大変ありがたく・・・






●お料理も高級で大変美味しゅうございました(*v.v)。。が・・・
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Y:「やっぱり、気楽に、何の気兼ねもなく飲みたい

KOU:「まあ、気楽で平和だった平成という時代でも、様々な『おつきあい』は不可欠であるという事で






●割烹屋さんを出て、夜の町を自由に歩き回る
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おお、やっぱりフリーダムなのが最高






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飲み直しをして・・・






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珍メニュー(漬物ピザ)食べて・・・







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また、河岸変えて・・・






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面白げなお店だったけど満員(手筒花火の方たち)で入れず・・・







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別の店で飲んでいるうち、ふと、時計を見たら、平成時代から令和時代に切り替わっていた。

なるほど、僕の平成時代の最後の瞬間は高山で日本酒を飲んでいたという事になるのか・・・。

KOU:「令和時代も、珍スポ旅、よろしくお願いします(*v.v)。。」

Y:「こちらこそ、よろしくお願いします(*v.v)。。」

なんか、遊びの事しか考えてない。

次の元号に変わる時、死んでたりボケてたりしなければ、きっと僕のアタマは今と同じ、子供時代のままだろう。






●令和元年5月1日(水)
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午前中からあいにくの雨で、楽しみにしていた屋台の総回しは中止となってしまったが、市内を散策~♪








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闘鶏楽(トウケイラク)。

元来は選ばれた若い男性のみ着用が許さた衣装・行事だったが、今は女性や子供にも門戸が開かれた筈。

とても美しい柄だ











●松喜すし
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平成最後の夜に晩ごはん食べようと並んでいた寿司店で、令和初のブランチを頂く(*v.v)。。

Y:「珍スポ巡りも、やっぱり美味しいごはんのある場所がいいモグモグ」

KOU:「この先、行ってみたいのは淡路島だったり、軍艦島(長崎)だったり、三日月村(群馬)だったり・・・

  あと、香港のカオスな雑居ビルとか、中国のヘンテコなテーマパークも興味深いところではある」

Y:「中国だったら、大陸や香港より、台湾の方が面白そう!孤独のグルメに出てきたご飯やさんとか

KOU:「そりゃ、珍スポじゃなく聖地巡礼じゃん

・・・まあ、結構忙しく時間も無いし、そんな「旅らしい旅」が出来るのかあやしいところだけれど、

令和の時代にも、ヘンテコな場所を色々探索したいと思いながら、帰路についたのであった。