●わ~
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目の前に広がる光景に、単純に驚く。

1人の男が三十余年の歳月をかけて構築した庭園は、僕の想像を超えた空間だった。






















三重珍スポ探訪記 2017.05.21
ナナイロの泉をめざして(2)
『珍スポじゃないじゃん』




















●とにかく、探検してみよう
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全容はまだよく判っていないが、やはり『野球場』に喩えると判りやすい様に感じた。

さっき奥の方に見えた薄紫色の大きなパネルがある方を野球場の本塁側(バックネット側)とすると、

今、僕等それの対面の外野席側にいて、スコアボードやオーロラビジョンがあるあたりの下にいる感じ。

野球場でいうところの『グラウンド』部分は、岩の様なサイズの白い石(?)が配置されており、

その外周の『スタンド(観客席)』部分は、タイルが張られてガウディの作品の様なアレに見える。

とりあえず、スタンド通路を『一塁側』(奥に対して左方向)に向かって歩いてみよう。





















●造形物は、やはり、全て焼き物のようだ
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『観客席側』はタイルで構成された路面と、それが盛り上がって一体となった『像』で構成されている。

この、一群となった像も、陶磁器の一種だろう。彫刻ではない。

これの高さは3m以上はあると思う。奥の方に見えるものは、もっと大きい。

像を見ると、ところどころに、明らかに『継ぎ目』と思われる直線部分があるのが判る。

おそらくは一つ一つ手で意匠を造り、一旦、大きな糸ノコか何かで分割してから窯に入れ、

焼きあがったものを運んで来て、『つなぎ』で組み合わせるという手法なんじゃないだろうか。




















●「観客席にのぼってみようか
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『外野席』最奥部の一番高い場所(4~5mくらいはありそう)へは幾筋ものタイルの道で登れる様になっている。

道はなだらかで、特に危険を感じる様なものではなく、

その一番上には『玉座』とでも言う様な、タイル造りの、おしゃれで大きな『イス』があった。

埃を払って、そこに座ると、こんな画になる。

Y:「わ~、すごい 設計図とか見ながら作ったのかしら?」

どうなんだろう?想像もつかない。

とにかく、『1塁側』を通過して、『ホームベース』に進んでみよう。




















●『1塁側』には、なにやら、たくさんの人々が・・・
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Y:「バンザイしてる人がたくさん

KOU:「バンザイ?僕には、『吊るされた人たち』にしか見えないが・・・」






















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Y:「そっか、吊るされてるんだ、たしかに」

KOU:「まあ、たしかにサンゴみたいなものを持ちあげている様にも見えるね」




















●転んだら、大変なことになりそうだ
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「ん?」

・・・このあたりの床の造りを見て、気づいたことがあった。

『これは、もしかして・・・』

その答えは、すぐ先にあった。






















●あ、やっぱり
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この広大な庭園は、おそらくは『池』だったんだろう。

ホームベース側のどこかから水が流れ出して、

各所に仕込まれている多様なレベル(高さ)の小さな池から池へと流れ落ち、広場を満たす仕掛け。

まるで、中国の世界遺産・九塞溝の様な具合に。





















●最奥部の大きな虹のプレートの下あたりの壁に、その仕掛けが
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この壁面には男女の裸体の他に子供たちの顔や、さまざまな動物などが『つる草』の中に表現されているが、

子供たちの口に、水の噴出口と思われるものが仕込まれている。

よくよく見ると、他にも、『花』の中ほか、色々なところに噴出口があった。

・・・水が出ている様子、見てみたい





















●Y:「それにしても、何を表現しているのかしら?」
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まあ、この様子から察するに、何か不自由から解き放たれたい願望の様なものを表現している様に見える

それより、僕はむしろ・・・





















●「ここって珍スポじゃないよね?」
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珍スポってものは、もっとこう、珍奇なるものというか、珍妙なものというか、

「しょーもない!」と叫びたくなる様な要素が強いモノだと僕は思っているのだけれど・・・





















●KOU:「ここは、『芸術』の領域じゃあないか
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Y:「まあ、芸術と珍スポは紙一重ですからねぇ

・・・なるほど。






















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歩き回って思う。

LUMIX持ってきたかった





















●帰り際、東さんの奥さんから話を伺うことができた
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奥さんが言うには、東さんは日展などでも入賞していた陶芸作家だったのだが、

普通の作品を創るのだけでは物足りなく、『もっと自由に面白いモノを創りたい』と思って

ここに移り住み、以来、30余年にわたってここをどんどん造っていったのだという。

設計図は「特に見た事はないが、彼の頭の中にはあったんでしょう」とおっしゃっていた。

設計図がないので『完成』といえるようなゴールもなく、

「仮に誰かがこのあとを継いだとしても、永遠に未完成の作品という事になるでしょう」とのこと。

また、「水は張らないのですか?」と訊いてみたところ、

着手してから最初の5~6年くらいは水を張るつもりで張り切っていたようだが、

水がコンクリにしみ込んだ状態で凍結すると、体積の膨張によって床が破壊されてしまう事がわかり、

コーティング処理等も費用面で難しかった事から、諦めたのだそうだ。ちょっと残念だね。



















●虹の泉の一角に、ここを訪れた人が焼いていった無数のタイルが張られていた
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見ると、1980年代前半から2008年頃くらい(だったかな)の日付が書かれたプレートが目立つ。

その数、1万枚を超えるという。

虹の泉を造るのにも多額の資金が必要だった為、1枚5000円で出資してもらい、焼いたのだそうだ。

ネタを見ると、その時代を思い出させる文言や意匠が多く、かなりじっくり見る事が出来る。

また、思った以上にたくさんの人がやってきて、見学していた事もうかがえる。

(30年間で1万枚という事は、1年の間に少なくとも333枚以上はこのタイルが造られていたわけだもんね)









『東さんが張り切って虹の泉を造っていた頃は、意外と、ここは賑やかだったのかも知れない・・・』

そんな事を思いながら、大満足して、僕らは虹の泉を後にする。




(つづく)






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