●日曜日、僕は早朝6時頃の名古屋駅にいた(*v.v)。。
6:10分台の中央本線電車で木曽路に出かけるべく切符を買おうとしたら財布に2000円しか入ってない。
お金おろそうとATMに行ったら・・・ええっ、都市銀行のカードって日曜日は7時にならないと使えないの?
普通電車の券売機だとクレジットカードでは切符購入出来ず、
新幹線・特急専用の券売機で試行錯誤しながら購入した時、乗りたかった電車は既に出てしまっていた。
●・・・まあ、ゆっくり行くさ。
時代は進む。とても早いスピードで。
だから、この旅は ゆっくりいこう。
Take it easy。
ミニベロの旅(*v.v)。。
だから、この旅は ゆっくりいこう。
Take it easy。
ミニベロの旅(*v.v)。。
※大好きだったマイナー旅番組のコピーのパクリです(笑)
続・木曽路はすべて山の中であるポタ(*v.v)。。
(1)『三留野宿(みどのしゅく)篇』
(1)『三留野宿(みどのしゅく)篇』
●6:30台の電車に乗り、名古屋→中津川→南木曽(なぎそ)と乗り継いで向かう
中津川を過ぎると、俗にいう『木曽路エリア』。車窓はそれまでの農村風景から、山里風景に変わる。
昨夏、僕は木曽路の藪原宿~三留野(みどの)宿間60km+を既に走破済み。
今日走るのは、三留野宿→妻籠宿→馬籠宿という、旧中山道でも難所の一つに数えられる峠のコース。
●出発は、ここ南木曽駅
南木曽駅はかつての三留野宿の中にある。
三留野宿の成立は正確な記録が残っていないものの、おそらくは中山道が整備され始めた1601年以降、
馬籠や妻籠といった他の宿場とほぼ同時に成立したと考えられている。
●馬籠や妻籠の様な観光開発は乏しい状況
1704(宝永元)年以降、4回の大火事が発生し、その度に宿場の大半を焼失するという苦難の歴史がある。
もっとも、宿場の多くを焼失する様な大火は、昔の中山道の宿場では度々見られた事でもある。
今でこそさびれて、人の数よりツバメの方が多いくらいだが、江戸時代には和宮、
明治時代には明治天皇や正岡子規、斎藤茂吉などの著名人も投宿していたりする。
●三留野に来た時にまず立ち寄りたいのは・・・
やはり、桃介橋であろう。ここでこうやって写真撮るの、もう5回目かも知れない。
ここは、明治~大正期の電力王・福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が1922(大正11)年にかけた木製の橋。
対岸にある『読書発電所』(よみかきはつでんしょ)建設用資材運搬の為の『トロッコ』軌道が敷かれていた。
老朽化が進んだ為に『廃橋』決定した状態のまま撤去費用が無く放置されていたのだそうだが、
1993年に再整備・補修強化され、現在では読書発電所と共に国の重要文化財に指定されている。
撤去されなくて、本当によかったねえ
●橋のとなりでこいのぼりが泳いでいた
清々しい
●橋の桁には、川原に降りられる階段が
こういった構造は面白いね。
あえて降りようとも思わないが。
●対岸まで渡る時は自転車を降りて、押して渡ろう
自転車やバイクは進入禁止だからね。歩行者扱いでいかないとダメだ。
橋を渡って、下流側の橋からこれまで走ってきた上流側を眺めると、桃介橋のこんな顔が見れる。
さて、再び三留野宿を抜けて、妻籠宿方面に向かおう。
●三留野宿内にはスーパーや薬局はある
宿場町の木曾方面側の入り口手前にセブンイレブンがあり、ようやくお金をおろす事が出来た。これで安心。
街の中の機能は、正直、十分とは言い切れないが、懐かしいかほりが漂うスーパーなどはある。
セブンではなく、そこでちょっとしたお菓子やパンなどを購入し、先に進む事にする。
●南木曽駅のチョイ先に、旧中山道への入り口がある
少し進むと、古びた蒸気機関車D51がある。こんなのに引っ張られる豪華な特急電車の旅があったら、
親にプレゼントしたら喜んでくれるかも知れない。
まあ、僕は鉄道車両にはそれほど興味はないので、チラッと眺めて先に進む。
●早くも傾斜が・・・
まあ、走り出したばかりだし、この程度の坂なら2速でものぼれない事はない。
が、ほどなく『押して歩く』事になるんだろうな~。
そして、しばらく進むと・・・
●巴御前袖振りの松
木曽義仲が弓を放とうとした時、邪魔だった松を義仲の愛妾・巴御前が『袖を振って』倒したのだそうだ。
しかし、その後すぐに芽が生えてきて、それから平成21年までここに生存していたらしい。
残念ながら松くい虫にやられてしまって伐採されたのだが、新しく松を植樹して、育んでいくのだそうだ。
木曽義仲や巴御前の伝説は、木曽路を旅する時にそこかしこで見られ、『人気者だなあ』と思う。
これは、北東北のウチの実家のあたりで人気者である『源義経やその主従の伝説』と同じ事なんだろうね。
●かぶと観音
『袖振りの松』のすぐ近くに、おごそかな雰囲気の小さなお社が。
BROMPTONは入口に置いて、行ってみよう
この祠は『かぶと観音』といって、源頼政の平家打倒の掛け声に呼応した義仲が1180(治承4)年挙兵した時、
京都に向かう前に木曽谷の拠点の一つとして建立した施設だという。
ここより南に築城した『妻籠城』の鬼門に当たる場所に位置し、義仲の兜にいる観音像を祀った事から
『かぶと観音』と称される様になり、以降、木曽路においては非常に有力な信仰地のひとつとなっているようだ。
●天井絵
見事!
こんな施設が、こんな山の中に、無造作に置かれているなんて!
●絵馬も見応えがある(*v.v)。。
とても大きい絵馬。時代を感じさせる。貴族の女性の画が描かれている様に見える。
いつ頃の時代のものかしら?
水音が絶えない、清涼な空間を後にして、妻籠方面へ進もう。
●山が深くなってくる
ところどころに点在する石畳の道。こういったところは押して歩く。
スリップが怖いのと、史跡保護の観点から、アスファルトの路面以外は、基本、押していく。
●クマが怖いので、こんなものも持ってきた
クマよけ鈴・・・。
新世紀のクマは、むしろ、『エサが歩いてきた』と思って攻撃してくる事もあるようで、油断は出来ない。
●ちょうどいい涼しさで、気持ちいい
『木曽路はすべて山の中である』・・・(*v.v)。。
そんな言葉を度々繰り返しながら、進む。
●上久保の一里塚
ご存じ、街道筋に4kmごとに設置されている一里塚。
1辺9mの四角形に、高さ約3mの盛り土があり、その上には檜や松が植えられていた。
数十年前まではよく残っていたこういった塚も、時の流れの中で破壊されるケースが増えている。
ここは、江戸から78番目の塚だそうだ。
●中世の中山道との分かれ道
1600~1700年頃の中山道は、左側画面外を流れる沢に沿って続いていたらしい。
僕の正面にある道は、1700年代以降の新しい旧中山道。
古い方を通ってみたい気持ちもあるが、300年以上前の旧道がどうなっているかは、僕でも想像できる。
通りやすい道を、進もう。
●ところどころには廃屋もある
うーむ、このあたりの廃屋は、10年くらい前までは人がいたのかも知れないな・・・
もし、今、営業しているようだったなら、
ここまでの道でも度々すれ違っている海外からのツーリストに人気だったんじゃないかなあ、と思う。
観光地・妻籠からほどよく離れていて、閑静の中に存在する旅籠。
そんな場所に泊まってみるのも一興だよなあと思う様になったのも、ここ10年くらいの心境変化か。。。
・・・おや?
●妻籠城跡の看板
さっき、『かぶと観音』の案内板に記載されていた『妻籠城』は、この笹藪の奥、山の中にあるらしい。
7年くらい前に、妻籠→南木曽をトレッキングした時には、完全にスルーしていた。
『ここから徒歩十分か・・・』
ビミョーなキョリ。BROMPTONも持ってるし、余計な行動はしたくないのだけれど、
一方で、見晴らしがいいのであれば行ってみたい気もする。
『うーむ・・・』
(つづく)
1 三留野宿篇
2 妻籠宿篇
3 馬籠峠篇
4 馬籠宿篇
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