●道連れを待つ間、夕刻迫る馬籠宿を散策・・・
イメージ 1

日中も外国人客は多いけど、この時間になると宿場内を散策しているほとんどが外国人客かも知れない。

宿泊客において邦人客の比率は右肩下がりなので、当然といえるだろう。

可処分所得の減少だとか、昔に比べて通信費その他新しい領域の出費の増加だとかによって、

宿泊旅行に出かける人はそれほど増えていないんだろうね。

かくいう僕も、自分でも不思議なほど宿泊旅行に出る機会は多くないんだよなあ~。

そうやってるうちに、どんどん歳をとってしまうのは、本当にもったいない。




















イメージ 2

17時を過ぎると宿場内の店は閉まり、旅人の数よりもツバメの数の方が多くなる。



















イメージ 3

徳川幕府がもたらした社会的安定によって、レジャーとしての『旅人』が登場するのは江戸時代中頃だという。

その頃の『旅人』は男性ばかりだったのが、江戸も後期になると女性も盛んに旅をする様になった。

彼女たちの旅の模様は日記として残され、現代の東海道二川宿などいくつかの宿場では

男女どちらの旅人の道中日記口語訳を購入する事が可能だ。

人によっては、旅の味わいに深みを加える事が出来るかも知れない。




















●宿場を抜けて、裏通りに
イメージ 4

馬籠宿から永昌寺に抜ける横道は寺道と呼ばれるもの。これは、馬籠宿で唯一認められた『脇道』だ。

ここに限らず、全国津々浦々の宿場町がどこでも必ずギッチギチに家が連なる構造になっているのは

通行人が自由勝手に宿場町の内外を行き来出来ないように法度(法律)として決まっていたからだ。

その道を抜けて、200年前の村人たちが共同作業で積み上げたお寺の石垣の前を抜け、

外から宿場を眺めたりする。




















●見晴台
イメージ 5

馬籠の見晴台は『陣場』という住所にある。

かつて当地を舞台にした戦争の時、ここに馬籠領主遠山氏の陣が設けられたのだそうだが、

決戦に至る前に逃走したときいた。相手は・・・誰だったかな?徳川軍だったか武田軍だったか。。。

多分、インターネットで検索しても、正確な情報は出てこないだろう。村史その他歴史資料を見直さないと。。。



















●18時近い馬籠宿

イメージ 6

もう、観光客はほとんどいない。

宿泊客も、各々の投宿先に入った事だろう。





















●馬籠宿南口(下側)の民宿前でぼーっとしてると・・・
イメージ 7

道連れのKさんが駕篭・・・いや、ワンボックスカーに乗って到着。

Kさんはベテランの映像プロデューサー。僕より多分10歳ほど年上で50歳代だろう。

肩書は部長だが、とにかく現場好きで、電話をかけると、極端な山奥だとか海の上にいたりする事が多い。

僕はシゴトの創り方の基本を、30代終盤にしてこの人を見て、学んだ。

たいそうな人生送ってる訳でもないが、彼に出会わなかったら、より大したことない人生過ごしていた事だろう。




彼の車は宿場の外側にある土産物店・馬籠館さんの大きな駐車場に置かせてもらった。

150年前の宿場町では、人荷運搬用の馬や馬指を泊める為の宿は宿場の外側にあったというから、

その頃、Kさんのクルマの場所は馬を留める場所だった可能性は大いにありそう。




















●素朴な郷土料理で一献~♪
イメージ 8

民宿のばあちゃんとおばさんが作ってくれた素朴な料理、キンキンに冷えたビールでかんぱ~い

グビグビ アヒィ、美味い しみわたる~




それにしても、だ。




昔の旅人は行程10kmにも満たない僕の如きヘタレではなく、

女性で32km、男性にいたっては40kmを連日踏破したというから・・・信じられない。

Kさん:「KOUさんは今日はどこから歩いてきたんですか?」

KOU:「中津川からです~。たった8kmをこれほど遠く感じるとは思いませんでしたぁ

















●地鴨のハム・・・たぶん。美味い!
イメージ 9

Kさん:「え~、そんなに歩いたんですか

KOU:「クタクタになって宿(宿場町のこと)に到着する古の旅人の気持ちを感じたくて・・・

Kさん:「味わえましたか?」

KOU:「うーん、思ったより、昔の旅人の事考えながら歩く時間は少なかったですねえ。

  やっぱり、自分の目で知覚する現代の光景に対して、優先的に情報処理してしまうもんなんですねえ・・・」




まあ、旅の前の想像は、机上の空論みたいなものだった・・・という事だろう。




















●五平餅・・・ありきたりのものの筈なのに、びっくりするくらい美味い
イメージ 10

KOU:「落合~馬籠より、中津川~落合の方が数倍きつくて萎えましたよ。アップダウン激しくて」

Kさん:「結局、何時間で歩いたんですか?」

KOU:「4時間かかりましたねえ。。。勿論、もくもくと歩いてるワケではないので時間もかかるでしょうが。

  しかし、現代のトレッキングシューズを履いている僕が、半日で8kmしか進めない道を、

  昔の人は草鞋で30~40kmも歩いたなんて、どれだけ健脚だったんでしょう?」

Kさん:「あ~、よくそういう話聞きますけど、実際はそんなに歩けなかったんじゃないですかね?」

KOU:「えっ?」

Kさん:「30km、40kmの話をしているのは随筆家じゃないですか。多少は脚色してると思いますよ」




うーむ(*v.v)。。

東京本社勤務だった頃、会社行事で「歩け歩け大会」という40kmくらい歩くというイベントに参加した事があった。

当時、僕は25歳だったろうか。

年齢的に若かったのと、毎日の営業回りで鍛えられた歩足は速く、連続して1時間に6km歩く事が出来た。

その僕が、舗装された平地で、ウォーキングシューズ履いて、たしか8時間近くかかったんだよな。。。

40kmって、それなりに歩くのに慣れた普通の市民が歩いた時、そのくらいかかる距離だ。



















●部屋で飲みなおす・・・柿ピー、美味い
イメージ 11

Kさん:「コンビニもないし、農協も閉まってるだろうと思って、あらかじめ買ってきました~

   僕も山の中とかよく行きますけど、案外、こんなもんでお酒飲んだりするのもなかなか美味しいもんです」

KOU:「お、おいしい・・・




飲みながら色々話しているうちに、すっかり、酔いが回ってしまった

深夜の宿場町の様子や、朧月夜に浮かび上がる恵那山、飛んでいたら蛍・・・など撮影するつもりで

三脚を担いで山越えしてきたのだが、とても、闇夜の石畳の上をフラフラさまよい出られる状況ではない。

闇夜の情景は、また、夜に馬籠を訪問する日までお預けだ。



















●8時頃に朝食を食す・・・(*v.v)。。
イメージ 12

本当は囲炉裏なんかがあって、魚焼いて食べられる様なトコに泊まる予定だったのだが、

既に満室で民宿になった経緯があった。

が。

食べきれないほどの量の食事が朝から供される様な環境よりも、

バランスのとれた適切な量の食事が出る宿でよかったようにも思う。





















●さて、行くか
イメージ 13

現代の草鞋の鼻緒をしっかり締めて・・・と。





















イメージ 14

坂の宿、馬籠宿をトコトコのぼってゆく。




















●クマよけの鈴は、民宿のおばちゃんのアドバイス
イメージ 15

数日前、木曽路沿いで子熊が出たのだそうだ。

この鈴は馬籠or妻籠の観光案内所で2,000円払うと貸してもらえる。

そして、トレッキング先の観光案内所で鈴を返せば2,000円戻ってくるという、デポジット方式のグッズだ。




















●天気、いいね!
イメージ 16

昨年、映像撮影の時、山頂に毎回雲がかかる日が続いた為に、何日も張り付いて撮影してもらった恵那山。

今日は割とキレイに頂きを見せているじゃないの♪

この景色は、中山道が開通した1602年からほぼ変わっていないだろう。

それでは、およそ2里先の妻籠宿に向かって『木曽路』に踏み込もう^0^





(つづく)