(4)慰霊 チェルノゴルスクにて




●墓参り出発前の、悔やまれるやりとり

今回の旅路で、最も悔やまれるのが、この時のやりとりだ。

トーマス:「さあ、KOU。これからチェルノゴルスクの祈念碑に向かうが、他に行きたい場所はないか?」

今思えば当然の質問。

だが、僕はガイド=既にプランニングされたコースを案内してくれる人と誤認していて何も考えておらず、

突然の質問に慌ててしまった。

KOU:「ああ・・・ずっと昔から残っている建物とかないかな?」

トーマス:「ん?それは、どういう意味だ?」

KOU:「70年前から、この土地にあるものモノを見ていきたいんだ」

ガイドたちは、僕が戦争で死んだ祖父の墓参りに来た事は知っているので、

その頃から当地にあったもの(じいちゃんが見たであろう景色)を見たがっているという事は伝わるだろう・・・

・・・などと、勝手に思っていた。

この時、「強制収容所の跡地が見たい」とか「じいさんたちが働いていた場所に連れてけ」とか、

出来るだけ具体的に伝えるべきだった。

トーマスとニコライはあれこれ話し合っている。

『もしかすると、戦争遺構は現存していないとか、あるいは外国人には見せられないとかあるのかしら?』

・・・僕がそう考えるくらい、真剣に議論している。

トーマス:「じゃあ、ミュージアムにでも行くか?」

KOU:「ミュージアム?」

古い建物群とかではなくて、ミュージアム?

話の流れから考えると、それは『戦争博物館』の様なもので、日本人の記録だとか遺品があるのかな・・・?

まあ、収容所みたいな建物がいまだ現存しているとも思えない。そのミュージアムがおススメって事か。

それはそれで、かなり勉強になるかも知れない。

KOU:「じゃあ、そうしてくれ」

この安易な選択の結果、僕はじいちゃんがリアルにいたピンポイントの場所に辿り着く機会を失う。

ただ、案内してもらったミュージアムは、素朴なんだけど、とても素晴らしかった。

これも、別記事でご紹介しよう。

果たして、僕はセルゲイが運転する車にニコライと共に乗り込み、

10kmほど北の町・チェルノゴルスクに向かう。

















●街なかは日本車メーカーの看板はないのに、日本車はやたら多い

ニコライ:「KOU、君は日本のどの町から来たんだ?」

KOU:「町を言って判るくらい日本を知ってるのかい?」

ニコライ:「行った事はないが、調べた事はあるぞ」

KOU:「ナゴヤという町だよ。知ってる?」

ニコライ:「ナゴヤ・・・?たしか、ものすごく大きな港がある町じゃないか?」

KOU:「え?知ってるの?本当に?」

ニコライ:「あの町にはとても大きな会社の本社があるだろう・・・なんだったかな」

KOU:「トヨタの本社があるよ」(実際は豊田市だけど)

ニコライ:「そうだ、トヨタだ。日本の自動車は本当に素晴らしい。この車もトヨタ車だ」

KOU:「おお、確かにトヨタ車だね・・・クレスタ?」

ニコライ:「見れば判ると思うが、この町の車は日本車だらけさ。トヨタ、ホンダ、マツダ・・・」

そういえば、町の中を見回すと、日本車が目立つぞ。

ニコライが言った他に、日産、三菱、スズキ、スバル・・・もしかすると、3割方は日本車かも知れない。

もっとも、ほとんどは10年くらい前の中古車っぽい感じではあるが。















●チェルノゴルスクへの幹線道路
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人口16万人のアバカンの市街地は、クルマで走るとすぐに抜けてしまった。

幹線道路に入ると、セルゲイはクルマをガンガンに飛ばす。













(動画)アバカン~チェルノゴルスクpart.1


やっぱり、田舎とはいえど現代は現代。

『全然違う光景になっているのかも知れない』・・・風景を見ながら、そう思う











(動画)アバカン~チェルノゴルスクpart.2


しばらくすると、湖沼が見えてきた。そして、草原も。

さっきまでの景色は、想像を絶する広い空間を走る道路の両脇に、

ちょっと建物があっただけという事実に気付かされる。

これは、ちょっと通りから離れれば、夜はすごい星空だろう。

そして、じいちゃんも同じ星空を眺めたんだろうな・・・











(動画)炭鉱都市 チェルノゴルスク


ニコライ:「チェルノゴルスクに入ったぞ」

これは・・・町なのか?

たしかに、建物はところどころに見えるけれど、人が1人も歩いていない。マジで1人もいない。本当に。

車の往来はあるのに『ゴーストタウン』を想像させる、ガランとした風景。

KOU:「・・・」

ニコライ:「“チェルノゴルスク”の意味は、英語では“Black stone”だ」

Black stone = 石炭。












そしてクルマは冷たい感じの幹線道路から一本奥の未舗装路に入る。

そこは草原の中に住宅や空き地が点在する様な雰囲気のところで、

もう少し進むと墓地らしい場所が見えてきた。

KOU:「これは、ロシア人の墓地かい?」

ニコライ:「その通りだ」

KOU:「・・・」

すると、日本人の慰霊碑はここから少し離れたところにあるのかしら・・・

そんな事を考えているうちに、クルマはロシア人墓地の中の道に入っていく。











●ロシア人の墓地

























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「え?」

それは、僕にとって、とても意外な場所に感じられた。

『ロシア人のお墓に囲まれているのって・・・有りうるのか?こんな事』

慰霊碑の写真は出発前に見ていたのだけれど、そんなに鮮明なものではなかったので、

こういう場所とは気づかなかったし、想像もしていなかった。

『こんな事、信じられない』

30年前に亡くなったばあちゃん(父方)を思い出す。

ばあちゃんにとってソ連は死ぬまで『憎き敵』であり、『恐ろしい連中』であり、『赦せない存在』だった。

そりゃあそうでしょう。

一緒に満州で暮らしていた夫は条約破棄して攻め込んで来たソ連兵に連れ去られ、強制労働で死亡。

彼女もまた幼子を連れて満州を脱出、ソ連兵の追手から逃げる為に大陸を移動、その途上で長男を失い

終戦から1年たってようやく日本に帰ってくるような、恐怖かつ無念の体験をした人だ。

そういう恐怖体験は、今でいう『トラウマ』だったでしょう。一生、癒えるわけがない。

その上、1991年までソ連は秘密主義的な国家であり続けため、

1986年に亡くなった彼女は、存命中に亡夫の情報をひとつも得る事が出来なかった。

僕は、そういう感情や体験は、抑留の被害者や遺族たちにとって、ある程度共通だろうと思っていた。

だから・・・

この地で亡くなった人がこういう形で慰霊されている事に違和感を感じざるを得なかった。

冷静に考えれば、尊い犠牲の上に、現代の日本とロシアの友好関係を取り持つ事も願って、

日本の言葉とロシアの言葉で『祈りの言葉』が刻まれたこの慰霊碑が建立される事は判る。

また、この周囲のお墓は、当時のソ連兵のものではなく、

現代のハカス共和国で暮らして来た人たちのお墓である事も知っている。

でも、ソ連という国が存在した1986年時点で亡くなったばあちゃんが、それまで語っていた『気持ち』に、

この時の僕はずいぶん染まっていた様に思う。




























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『でも、日本政府がこの場所に慰霊碑を建てたのだから、きっと、意味があるのだろう』

もしかしたら、ここが強制収容所だったのかも知れない。

そう思いつつ、じいちゃんの写真、ばあちゃん、長女、次男(僕の父)、四男とそれぞれの奥さんが揃った写真、

父の手による写経を供えた。

風がとても強いので、飛ばされないように扇子を重しにしている。

タバコは愛煙家だったという彼の為に日本で買ってきたもの。生まれて初めて自分の意志でタバコ買った。

ショートホープは戦前からのブランドらしいので、それを選んだ。




ガイドたちは3人そろって、少し離れた場所でこちらを見ている。

子供の頃、父に暗記させられた般若心経を読経したのは、父からの要望だった。

少し忘れていたところもあったけど、父の写経が目の前にあって、無事、唱える事が出来た。






KOU:「これ、ここで燃やしたいんだけど、問題ないかな?」

僕は、写経の紙をトーマスに見せて訊ねました。

これも父に頼まれていた事だが、万が一、そういうのが禁忌だったらまずいと思い、念のため。

トーマス:「勿論、何も問題はない。遠慮するな」

KOU:「そうか。ありがとう」

日本政府とロシア政府(ハカス政府?)友好の証でもある慰霊碑に黒焦げをつける訳にはいかないので、

少し離れた土の上に、小石を組んで簡素な炉を造り、そこで焚き上げるにした。

ニコライが無言で近づいてきて、手伝ってくれる。











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点火して、写経が燃えている間、この場所から慰霊碑を向いて、再び手を合わせる。

「あ・・・」

なんか、自然に涙がこぼれた。

さっき、お経を唱えていた時は、特になにも感じていなかったが、

目を閉じると、じいちゃんだけでなく、大勢の人が望まないままここに連れて来られ、

亡くなったんだなあという、そんな感覚がにわかに湧いてきたというか。












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じいちゃんの家族、おかげさまでみんな息災ですよ。

貴方の奥さんは立派に子供たちを育てあげ、もう、じいちゃんの世界に行ってるよね。

貴方の子供たちも、既にじいちゃんやばあちゃんになってここには来れないけど、みんな元気ですわ。

僕ら孫たちも、中年にさしかかった大人。もう、貴方のひ孫たちも、何人もいますよ。

ここから先は家庭を持つ・持たないの価値観が分かれていく社会だと思うんだけど、

自由気ままな僕を筆頭に、貴方の全ての家族のその全員が、とても幸せに暮らしていますよ。

今、日本はそういう時代になりました。











そんな感じで祈りをささげ、

父から託された2つの依頼も無事に終えて、少しホッとした。

でも、ムニャムニャと祈りはささげてみたものの、やっぱり、どうも違和感が。

なんだろう、じいちゃんの魂というものがあったとしても、ここには絶対にいない様な気がしてならない。

じいちゃんの骨は、どうやら日本に戻ってきているらしい。

でも、骨は大切だけど、その状態ではじいちゃんは何も語る事が出来ないでしょう。

彼が生きていたら、ばあちゃんや父に必ず伝えたであろう事・・・この地で見た事だとか、感じた事。

僕は、『彼が記憶したであろう事』を認識する為に、チェルノゴルスクに来た。

この場所に彼の子孫の誰かが迎えに来て、もしも、それに出会う事が出来たなら、

彼の意志や記憶の断片は親族に受け継がれる事だろう。

そうしてこそ、位牌や盛岡の源勝寺のお墓に姿を変えて還ってきたと言える・・・そんな風に思って。

しかし、あまりにも時間が経ち過ぎてしまったのか、僕のメルヘンチックな妄想が過ぎただけなのか

この場所で、彼の意志や魂と呼ばれるようなものを僕が感じる事はなかった。

まあ、現実って、そういうものなのかも知れない。

そもそも、僕自身、神様も魂も、一度もお目にかかった事がないのだから。










KOU:「ありがとう。もう、十分だ」

トーマス:「そうか。じゃあ、アバカンに向かおう」

ニコライ:「じいさんもきっと喜んだ事だろう」

KOU:「だといいよね。ありがとう」

心残りはあるけれど、この場所に来てお祈りするという役目は果たした。

僕らはチェルノゴルスクを後にし、再びアバカンに向かう。




(つづく)