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当初3月末を見込んでいた吉野の桜、おくれにおくれて来週末になるという事だ。

残念ながら来週は予定が入っていて使えない。

とりあえず、『世界遺産・吉野』だけでも体験してみようと出かけてみた。

この時期、吉野は交通規制があって、マイカーは麓の町の駐車場に止めるしかないと聞いており、

日中に出て大渋滞にでも巻き込まれたら目も当てられない。

早めにクルマを借りてきて4時間ばかし仮眠をとり、1:30に家を出て早朝着を目指す。





















●伊勢湾岸道
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夜の伊勢湾岸道、日中と変わらんくらい車が走っているが、おおむね快走。

長島リゾートのジェットコースターのシルエットや、四日市コンビナートが満月に照らされて

印象的な光景だった。

吉野までは高速利用で3時間ほどらしい。





















●吉野・・・麓
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渋滞などにつかまることもなく到着した吉野は、材木工場だらけの町だった。

吉野杉の香りが漂う町。

こういう、特徴のある町、大好き。















●吉野川
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“春はあけぼの。

 やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる”














地元の観光協議会が運営する駐車場が開くのは7:00。まだ2時間近くある。

吉野山に行くにはそこに駐車して、シャトルバスを利用しないとダメ…と思っていた。

シートを倒してのんびり待っているとほどなくスタッフがやってきた。

「今の時間であれば車で上がれますよ。上まで行って駐車場利用されたらどうですか?」

ラッキー♪

そんな事、HPには全然書いてなかったが、早起きはナントカの得ってやつか。

















●吉野山へ
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古い町並みの通りを抜け、ドライブウェイの様な道を登る。

すぐに近鉄吉野線の終点・吉野駅の駅舎を通過する。

鉄道でここまで来た場合、この先はロープウェイを使う必要がある。

















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ドライブウェイを上っている途中、『世界遺産・吉野』の象徴的な絵が吉野杉の隙間からチラリと見えた。

クルマを降りて小高い丘に登ってみる。

雲海を突き抜ける様に、ぽっかりと頭を出している修験道の町。

また、南朝時代の御所の都市でもある。





















●中千本エリア
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いわゆる『世界遺産・吉野』のエリアは、「下千本」と呼ばれる麓に近いエリアから

「上千本」と呼ばれる山頂に近いエリアに広がっているみたい。

「中千本」エリアに含まれる町中に駐車して、徒歩で吉野をめぐってみる事にする。

時刻は7:00前。

修験者の町が少しずつ動きだす頃だが、観光客はまだほとんどいない。

















●花の無人販売店
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小さな鉢植えがたくさんならんだ家がある。

町の人の小粋な演出かな・・・と思ったら、吉野で採れる草花を売っている無人販売所らしい。

















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ナデシコも売ってる。

ナデシコといえば、INAC神戸が奈良県橿原市のPRを年間500万円で担当するというニュースを聞いた。

スポンサー料は年間500万円というが、そんな料金でいいんだったらいくらでもスポンサー集める自信があるぞ。

僕はナデシコ(花)もナデシコ(サッカー女子代表)も橿原市(飛鳥の町)も大好きだ。



帰り道、もしもこのナデシコが売れ残っていたら、買って帰ることにしよう。




















●桜本坊(さくらもとぼう)
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山門の隣の看板によると、天武天皇が吉夢を見たことで建立したお寺と伝わるそうな。

天武天皇は確か8世紀の天皇だから、1300年くらいの歴史があるって事だね。

明治はじめの廃仏毀釈で衰えたこともあったけど持ち直し、山伏文化を伝えるお寺として有名らしい。




















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早朝だというのに、山伏姿の人(でも、お坊さんには見えない)がお寺の中を歩いていた。

このあたりのお寺は宿泊客を泊める『宿坊』を持っているお寺が多いようで、ここもそうらしい。

ご住職を見つけ、朱印を入れていただく。

「はれてようござんしたね」




















●竹林院
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桜本坊から少しあがると、「竹林院」という立派なお寺がある。

聖徳太子が建てた椿山寺というお寺が起源という事だ。

ここもまた僧坊をもつお寺なのだが、まるで老舗旅館の様な立派なフロントが建物越しに見えた。
















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“群芳園”と呼ばれる立派なお庭は有料で見学できる。

室町時代の作風を伝える武家書院造りが大きな特徴。

建物・庭園ともに豊臣秀吉が吉野で花見の催しを開いた時に千利休が築造したものだという。




















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奥庭の池の中の島は、七五三という作庭の手法で配置されたものだとか。

桜が咲けば、さぞかし見事な情景になるのだろう。


















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たくさんの小鳥たちが飛び交いさえずる広大な築山には東屋が2棟あった。

ここからは雲海にかすむ吉野の山々を遠望出来て、その中に小さく見える仏塔や寺院も拝める。

その背景に現代的な街を見下ろせる。

















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竹林院はまた、源義経が頼朝の手を逃れて吉野に隠れていた時、追討の書状が届いた場所でもあるという。



源義経。

京都を追われ、伊勢~中山道を経てやがて奥州まで落ち延び、

最後は平泉の衣川で自害した鎌倉時代の武将。

子供の頃から慣れ親しんでいる平泉に縁の深い人物でもあり、ついつい注目してしまう人物だ。

そうか、吉野にも立ち寄っていたんだっけ。

彼にまつわる話は吉野でもところどころで出会う事になる。



つづく