走行日:2011.04.03(日)
お天気:曇り一時雨
自転車:DAHON Vitesse P16
熊野古道に出かけてみようと思ったのは、いつもお世話になり、人物的に尊敬してる番組制作会社の方から
「僕、熊野古道全部歩きましたよ~」と聞いてから。
以前から少しキョーミはあったのが、『やっぱり行ってみたい』と強く思う様になった。
とはいえ、熊野古道の事は「世界遺産である」という事くらいしか知らない。
調べてみると、熊野古道とは熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を参拝する為に
山の中に切り拓かれた参拝道という。
熊野三山というのは全国にたくさんある「熊野神社」の総本山であり、日本最古の歴史書である
「日本書紀」の中に、既にその存在が記載されている大変歴史のある神社だ。
修験道の盛んなこのエリアは無数の山が連なる紀伊山地の奥の方にあり、そこを詣でる為の道が造られた。
その中の5本の道「紀伊路」「小辺路」「中辺路」「大辺路」「伊勢路」が主に熊野古道と呼ばれる。
僕がゆくのは伊勢神宮から熊野三山を結ぶ「伊勢路」(160km)の中の一部分「八鬼山越え」と呼ばれる
およそ10km+その手前にある「やのはま道」を含めて13.4km。
まずは、尾鷲の街なかからのスタート。
のんびりとvitsseくんで進む。
ここは世界遺産とかではないが、昔の街道筋の建物が残っていて趣き深い。
念のため、この辺のコンビニでお茶といなりずしを買っておいたのだが、これが後々奏功した。
『やのはま道』は、住宅街の中を縫って進むような細い路地。
ちょっと日本っぽくない光景。なんか、沖縄の離島の集落を彷彿させるカンジ。
そこから更に2kmほど進んだろうか。
火力発電所やガスタンクなど、近代的な巨大建造物の間をすり抜けていくと、満開の桜並木が見えてきた。
なんだこれ。
事前に調べた情報では「やや険しいルート」とは書いてあったけど、クマなんて一言も・・・。
ちょっと憧れていた、いにしえからの神々の道・熊野古道へいざ出発\(^o^)/
でも、これだけ立派な石畳が敷き詰められている道が「難所」だとは、ふしぎだが、自転車では走れないね。。。
仕方ない、降りて押しつつ、深い森の中へと、トコトコ進んでゆく。
まずいな、これはもしかして、DAHONはずっと押しっぱなしになるか- -;
・・・それにしても、この古道が拓かれてから少なくとも1200年。
どれだけの旅人が、この石に腰をおろして休んだ事だろう・・・などと考えながら、トコトコ歩く。
「西国三十三箇所巡礼」の旅に出る人は、心に悩みのある人や、病気もちの人が多かったそうだ。
昔の旅人は一生の念願である伊勢参宮を果した後、熊野古道を南下して那智山を目指すものだったらしいが、
急な山越えの道で体調を崩して倒れてしまう人も大変多かったようだ。
この墓は江戸時代末期、ここで倒れた茨城県筑波郡伊奈町から来た旅人・武兵衛なる人物の供養碑。
南無南無・・・(-人-)
のんびりとした、ゆる~い旅路を想像していたのだが、全然違う--;
昔の人は、よくもこんな道を草履や着物で歩いたもんだ--;
ってか、もしかして、この先、DAHONは担がないと進めない?
ぐう、キツイ XoX;
登っても登っても、全然終わりが見えないぞ--;
ここまでキツイと判っていたなら、ちゃんとしたトレッキングブーツを持ってきたのに・・・。
視界の中にはまたしても行き倒れ者の供養碑。
こりゃあ、じいさんばあさんが倒れるのも判る・・・南無南無・・・(-人-)
はるか昔の旅人が「聞きしに勝る難場なり」と書き残した場所。
こんな場所にチャリ持ってくるなんて、バカしかいないだろう- -;
現代人のKOUにとっては・・・ああ、ガラスのヒザが壊れる感覚がするT_T
随分と高いところまで上がってきていたんだなあ・・・。
まさか、こんな山を通る道だなんて思っていなかった。
・・・しかし、まだ山越えの半分もきていない--;
お茶を飲みながら休憩していたら、頭上にリスがやってきた。
のどかなもんだ。
でも、昔はこの山深いルートは山賊が頻出していたらしい。
そんな時代の人たちは、どんな気持ちでこの道を歩いていたんだろう。
少なくとも、僕の様な軽い気持ちや軽い準備ではなかったろうなあ。
男でもそうだろうし、女ならなおさらだろうし、じいさんばあさんは常に行き倒れ覚悟だったかも。
一方で、お殿様はこんな急坂だらけの道でも、カゴに乗って移動していたらしいですよ。
大したもんだ。
でも、カゴの中で姿勢を維持するくらいなら、歩いたほうがまだラクな可能性もあるような・・・。
(つづく)
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