走行日:2010.03.21(日)

天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16



◇苔寺付近
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春の京都を包み込んでいたやわらかな雨が上がり、朝から大気に立ち込めていたもやの様なものが

一掃され、日差しが差し込んできました。

あのもやは雲ではなく、黄砂だったのかも。





















雨上がりの上り坂を登ってゆくと、楽しみにしていた『苔寺』があります。

しかし、ここで意外な出来事が!

・・・結局、僕は苔寺を回避し嵐山公園の渡月橋に向かいます。























◇桂川沿いの公園
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桂川沿いの道は、かなりの距離がしっかり整備されています。

その舗装路を使って、マラソン大会が開かれていました。




















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水のほとりを走るその光景に、手賀沼のマラソン大会を思い出しながら上流方向に向かいます。

途中、『最後尾』のフダをつけた自転車の前を、2人並んでゆっくりゴールを目指す70歳くらいの

じいちゃん2人とすれ違いました。

がんばれ~\(^o^)/




















◇嵐山公園
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桂川サイクリングロードの終点には一本の桜が。

ここはマラソンの折り返し地点。























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愛しさよ咲き誇れ。























◇渡月橋
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橋の上空を移動していく月を眺めた亀山上皇(1249-1305)が

「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられたという。

橋自体の完成は830~840年代の頃で、現在の橋は昭和9年(1934)に架け替えられたもの。






















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この橋から上流は本格的な山地。

トロッコ型の列車が走っているらしい。























◇嵐山
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渡月橋を渡ると、嵐山の街が。

名前から想像していた京都らしい街ではなく、清里とか伊豆とか、リゾート地にある土産店街のイメージ。



















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でも、人力車が良く似合う。

女の子の引き手さんがクルマを引っ張って走りながら『乗り心地どうですか』と訊いてました。





















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街なかにあったオルゴール屋さん。

最初、目的地のひとつの『オルゴール博物館』がここなのかと勘違いしてしまった。





















◇オルゴール博物館
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嵐山でもっとも立ち寄りたかったのはこの博物館。

ここでは、スイスの時計職人が作った世界初のオルゴールをはじめ、古きよき時代を彩ったオルゴールが

数多く展示されています。

1Fはカフェレストラン、2Fが博物館になっていて、入場料は1,000円。

博物館に入ると、学芸員さんが30分程度の時間をかけて、様々なオルゴールを実際に演奏しながら、

オルゴールの歴史や文化、仕組みなどを丁寧に解説してくれます。







エジソンが蓄音機を発明するまでの間、オルゴールが家庭用の音楽ツールであったり、

ホールの音楽シーンを演出する本格的な『楽器』として使われていたなんて、知らなかったな~。

例えば、昔はレストランやBARなどにコイン式のオルゴールの機械が置いてあって、

まるでジュークボックスの様に自分の好きな曲をリクエストしてたんだそうですよ!

オーケストラの様な多彩な音色を再現する様なものもあって、なかなか興味深い。

残念ながら、内部は東寺の仏像同様撮影禁止ですが、おススメの見学スポットでございます~^^

























◇清涼寺
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「五台山」の額がかかる立派な仁王門。

通りのず~っと先から見えて、威容を誇っていました。






















このお寺は京都の中では結構地味で、訪れる前にその全貌を僕も掴んでいませんでした。

ウィキペディアで見てもよく判らなかったし、もらってきたリーフレットもいまいち判りにくい^^;

なので、僕の方でちょっと判りやすく整理してまとめてみました。

訪ねる方は参考にして下さい。

あと、細かい内容、間違ってたらごめんなさい^^;




























清涼寺は千年来、『嵯峨釈迦堂』の名で親しまれているお寺。

しかし、はるか昔、ここは嵯峨天皇の息子にして左大臣でもあり、

源氏物語の主人公『光源氏』のモデルでもあった源融(みなもとのとおる)の邸宅でございました。

彼は晩年、阿弥陀三尊像を造ろうと発願しますが、果せないまま没します。

源融の志を継いで彼の子息が『阿弥陀三尊(嵯峨光仏)』を造立。

そして阿弥陀三尊を安置する阿弥陀堂が建てられ、これが棲霞寺(せいかじ)となりました。

その後、重明親王妃が等身大の釈迦像を安置する為にお堂を建てました。

現在に伝わる『釈迦堂』という呼び名が生まれたのはこの頃だそうです。

時に、今を遡ること1114年前の寛平8年(896)の出来事でございました。





現在、国宝となった阿弥陀三尊は源融の面影を残しているそうです。

彼は秀麗眉目で風雅な貴族人(うらやましい)なので、是非観覧してみたいところですが、

毎年春季(4月~5月)、秋季(10月~11月)以外には公開されていないとのコト。要注意

























それから100年ほど月日が流れた頃、中国(宋)に1人の日本人僧侶が勉強しに渡っていました。

奈良東大寺の僧・奝然(ちょうねん)という人なのですが、彼は台州の開元寺で『霊像』と呼ばれる

一体の像を目にします。

その像こそ、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の香木で刻ませた

尊像でございました。

釈迦37歳の生き姿を刻んだという尊像は、まさにお釈迦様の姿にそっくりで、

その像を見た本人が「私亡き後はこの像が私に替わって衆生を済度するであろう」と

大層喜んだという逸話がのこっておりました。



古代インド、釈迦が生きていた時代は紀元前400~500年代。

それから1300年後の900年代には、

本人と瓜二つの釈迦像はインドからヒマラヤを越えて(すごい)中国に渡っていたのですね。






さて、奝然はその像を現地の仏師に模刻させ、日本に持ち帰ります。

寛和元年(985)の出来事でございました。

この時、本物の釈迦像と、新しく造った釈迦像がすり替わったという噂がまことしやかに流れます。

奝然はインド、中国、そして日本と三国を渡り歩いた『三国伝来の生身の釈迦如来さま』を

安置するお寺をここ、愛宕山に建立しようとします。

それは、愛宕山を五台山にみたて、尊像を設置する事で古い仏教の中心地とし、

都を挟んで反対側にあたる東の比叡山延暦寺に対抗できる寺勢力とするつもりだったようです。

しかし、お寺を建てる前に彼は没し、弟子が棲霞寺の境内に新しく建てたお寺が五台山清涼寺となります。

長和5年(1016年)の出来事でございました。


























その後享禄7年(1530・室町時代)に、この土地は正式に清涼寺のものとなり、現在に至ります。

釈迦如来は、それが摸刻のものだとしても1000年、古代インドのものだとしたら2000年以上もの間、

圧倒的な信仰を集める像となりました。




しかし、この像はこれで終わりません。

昭和28年、像の体内から内臓が発見されるのです。

それは、絹で作られた内臓。

奝然が像を彫っている時に、中国の尼僧が詰め込んだものとされています。

と、いう事は、日本にやってきた像は、やはり摸刻の方という事になりますね。

しかし、その内臓は非常に緻密に作られており、

1000年の昔、既に中国では解剖学が相当の水準にまで達していた事を示す貴重な資料なんだそうです。

これはスゲー。日本では江戸時代末期でようやく『仁』レベル(しかも創作)なのに・・・。

勿論、体内の臓物も、全て国宝となりました。




































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立派な本堂。

945年に重明親王妃が建立した本堂は、その後何度も焼失を繰り返し、

現在のお堂は元禄14年(1701)の再建。

圧倒的な豪壮さは、桃山建築の名残だそうです。

中には三国伝来の等身大の釈迦如来像(国宝)があるほか、壁画が見ものです。











つづく








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