走行日:2008.11.22(土)

お天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16




多摩湖を後にした後、ここに来る時に利用した東村山駅から輪行するのではなくて、

西東京市まで延びている多摩湖自転車道を走ってみる事にしました(^▽^)

この道はおそらくは10km以上、ほぼ直線的に続いている自転車&歩行者の専用道。

東村山、東大和、小平、西東京・・・他にもかぶっている市があるかも知れませんが、

とにかくたくさんの市をつないでいる道です。







●多摩湖自転車道
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驚くべき事に、この道はおよそ10kmほどほぼ直線に延びていて、各都市を縦貫しています。
道路の上はたくさんの歩行者、自転車、車椅子などの人が通っていて、まさに生活道路。
こんなに通行者の多い自転車道は初めて見ました。
道中には、この道に向けて玄関を開いている飲み屋、ショップ、コンビニまであるくらいですから驚きです^0^;







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自転車道脇に、かつてここを水が流れていたコトを示すオブジェがあります。
この道が走る前、もともとここは上水が通っていたとの事ですよ。
だからこんな直線的な用地取得が可能で、しかもそれを自転車道に使うなんてコトが出来たのかあ・・・

道路わきには他にも色々なオブジェ、様々な憩いの施設、ショップなどがあります。
最初から色々立ち寄るつもりなのであれば、この道を走るだけでも一日楽しめそう(^▽^)








●ふるさと村
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かつて武蔵野に建っていた家々を移築して、昔の農村を再現している施設があります。
僕がここについたのは日暮れ時前の時間帯だったコトもあり、立ち寄る人もまばらなのでしょう。
静かな雰囲気が、ホントに昔の村の雰囲気を醸し出していました。
ナント入場無料。おススメのスポットです(´ー`)







①旧小平小川郵便局舎(大正末期頃の様子に復元)
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郵便制度がスタートしたのは1870年(明治3年)12月で、郵便を取り扱いする『郵便役所』なる施設が
全国に設置されていったんだそうです。(明治8年に『郵便局』に改称される)
多摩地域にも明治5年7月には府中、田無、布田に郵便役所が開設されたとのこと。
これらの施設はその村の名主さんの家を改築して設置されるコトが多かったみたいで、
必然的に、代々その名主さんが局長を務めるのが慣例になってゆくようです。









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この郵便局は1908年(明治41年)に建築されたそうです。
郵便業務を本格的に取り扱うべく、名主さんの家の改築ではなくて新築だったそうですよ。
普通の郵便配達業務の他、為替、貯金、内容証明郵便なども取り扱い、
1944年(昭和19年)からは新しく電話交換業務も加えられて、電話室や電話交換室も設けられたそうな。









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家の中にあがる事も出来ます(´ー`)
お金を取り扱う分、カウンターはしっかりしたものでしたが中に入ると普通の日本家屋。
当時の局員たちはどういう雰囲気の中で業務にあたっていたのかな・・・
ちょっと、想像つきません。









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でも、局員同士でここに腰掛けて、景色とお茶とキセルと世間話を楽しんでいた姿は目に浮かびますね(´ー`)
武蔵野の四季を楽しみながら、新しい時代の業務に励んでいたのでしょう。










②江戸時代の名家の玄関舎
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資料を取り忘れてしまい、正確なコトは書けませんが、江戸時代の有力な家の玄関だそうです。
驚くべき事に、玄関そのものがひとつの建物になってます。
うーむ、贅沢なり・・・。









③開拓当初(1655~1657頃)の復元住居
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今回、僕が最もココロを動かされた建物です。
『明暦』というあまりなじみのない元号である1655年頃、武蔵野地域は開拓されました。350年前ですね。
その頃の開拓民の生活がどの様なモノであるかを示す貴重な建物。

ご存知のとおり、日本の家屋は木造が基本で、欧米式の建造物ほど寿命は長くありません。
寺社・仏閣、あるいはお城の様な洗練された建築技術の粋を注ぎ込んだモノだけが奇跡的に何百年も
その姿をとどめていたりはしますが、民家の方はそうはいきません。
しかし、武蔵野の名家・小川家には350年前に家を建てる時に書かれた設計図、材料などを
かなり詳細に示す資料が残されていて、それを忠実に再現する事で当時の家が蘇ったというワケです。

復元された家は、壁もかやぶきの様になっています。僕はこういう家は初めて見ました。
詳細な資料が入手しにくい分、いままでドラマや映画でもちゃんと再現できてなかったのかも。









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『当時の生活』をお届けしたくって、あえてストロボを使わず撮影してみました。
く、暗いですね~・・・^^;
この家は一応暗めの照明が灯されていますが、明暦年間、油やロウソクはおそらく貴重品。
かと言って、火気厳禁的なこの家では、薪で明かりを求めるコトも厳しかったでしょう。










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筵(ムシロ)の間。
貧乏人を比喩する言葉として『ムシロ売り』を知っている人は結構いたとしても、
ムシロがどういうものか知らない人も多いんじゃないかと思います。
やはり、畳ってぜいたく品なんですね^^;

この家は2人暮らし用の家という事です。
決して広くはないですが、極端に狭いわけでもない・・・カンジですね。










④旧神山家住宅主屋
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こちらは江戸末期~昭和54年まで農家の方が暮らしていた建物だそうです。
いつ頃の状況に復元されたのか判らんですが、武蔵野の農家の代表的な作りだそうですよ~(´ー`)









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窯が3つ。手前の方のお釜はかなり大きいですね!大家族を養ったお釜だったのかな。









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広々として、風通しも良さそう。イイカンジの日本家屋です(´ー`)
何か、大家族で正月にお持ちを焼いているシーンなんかが目に浮かんできました。









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古民家・・・大好きです(´ー`)










⑤広場
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ああ~、この光景は数十年前でも見かけられたんじゃないですかね(´ー`)
竹馬、僕は1回もうまく出来ませんでした^^;










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水車小屋なんかもあったりします。
武蔵野は用水がめぐらされて、水への親しみが深いエリアでもありますからね~。
こういう風情、もっと残しておいても良かったろうな~と思いますね(´ー`)









・・・っとまあ、こんなカンジです。
これ、全部無料で見れます(^▽^)
かなりお得なスポットだと思いませんか?




さぁ、陽もだいぶ陰ってきました。
ゴールに向けて都心エリアを抜けてゆきましょうか(´ー`)♪