僕は、岩手県久慈市の小袖海岸で、小さな灯台を眺めていた
●2013年朝ドラで、能年さんがバンバン海に飛び込んでいた場所(*v.v)。。
岩手を舞台とするパートが多くて、熱心に見ていた「あまちゃん」。
今みたく度々テレワークあるわけでもないのに、毎朝オンタイムで視聴していた!

●2013年朝ドラで、能年さんがバンバン海に飛び込んでいた場所(*v.v)。。
岩手を舞台とするパートが多くて、熱心に見ていた「あまちゃん」。
今みたく度々テレワークあるわけでもないのに、毎朝オンタイムで視聴していた!
15分間愉しいひと時を過ごし、徒歩10分でオフィスに出勤、折り合いの悪い上司(当時)と向き合い10数時間苦痛の業務をこなした日々・・・
今思えば、「あまちゃん」放送されてなかったら転職してた可能性少なくない

ここには「小袖海女センター」なるものがある。
「あまちゃん」ゆかりの展示物があったり、作中に登場した「まめぶ汁」なども販売されている。
●立ち寄っていきたいが、時間がない

4時出発時点での3時間近い余裕を食いつぶし、目標時間の15時に対して12分の遅れ!
休憩らしい休憩、とってないのに!
●しゃあない、駅に向かおう


ここでXPERIAを操作して「潮騒のメモリー」をかける。
僕のXPERIAには天野春子(小泉今日子)ver.と鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろ子)ver.(ハイレゾ版)どちらも入っている。
『・・・

およそ30年前、初めて来た時と同じくらいガラガラの小袖海岸。
まだ、10代だった。












つりがね洞。
花崗岩でできた、小袖海岸を代表する奇岩。
6月の夏至の頃の数日間、海食洞の中に御来光のような朝日を見ることができる。
5kmほどで小袖海岸は終わり・・・
久慈市街への道を進む




そして・・・
●2022年5月6日(金)15:00


予定時刻15時ジャスト、三陸鉄道「久慈駅」に到着。
本日の走行キョリは124km。
3日間通算キョリは304kmだった。
●リアス式海岸300km走り切った

●お隣のJR久慈駅前で、珍しい光景
こんなスカスカの駅前で事故れるおばさん、ある意味凄い。
●駅前を眺むる。
劇中、「北三陸市」観光協会が入っていたビル(「久慈駅前百貨店」跡)だ。
たしか、劇中「アマーソニック」で使われる予定だった看板だったかな。
●周辺には「あまちゃん」関係の掲示板が散見される
つい、昨日の様だけど、10年前なんだよな。
●三陸鉄道「久慈駅」
劇中、「北三陸駅」で天野春子が切り盛りしてたスナックみたいなのは無い。
ここは終着・始発駅で、全列車南行き。
●大吉さんと吉田くんがいた

少しセピア色になったポスターの中で、当時19歳の能年さんの笑顔が弾けている



●おっと!
いかんいかん、大切な事を忘れていた!
「16:15の電車に乗ればいいのに15:00着でこの駅を目指した理由」を食さねば


それはもちろん
●うに弁当!
それは「あまちゃん」にも出てきた三陸の名物弁当!
創始者はポタ途中に通った普代村の旅館の女将さんで、1980年代半ばに列車内で販売し始め、現在に至る。
ケチケチ期間ゆえ、こんな高価なお弁当食べてはいけない身だが、この弁当だけは仕方ない。
「うに弁当ひとつください


●まあ、でも、来てよかった

なんていうか、色々と「時のながれ」を感じたポタ旅。
「あまちゃん」だけでなく、宮城の平野も、石巻も、高田松原も、盛も、釜石も、浪板海岸も、R45も、宮古も、小袖海岸も。
離れた故郷を走ると、自然と「追憶の旅」になるのは当然だろう。
「故郷」にあたたかみを感じられるのは、まだ、そこに元気な両親が健在だからだろう。
いずれいなくなったら、それを感じるには、全て「思い出」に頼らなければならないのかも知れない。
そんな事を感じながら、僕の三陸縦断の旅は終わった。
終わったのだ(*v.v)。。
終わったのだが・・・
(11)
「小袖海岸~久慈」の巻
●僕の実家は三陸海岸沿いにあるわけではない
鉄道で移動するルートに関していえば、宮古駅から先の方が長い。
実は、宮古~紫波中央の移動は久慈~宮古間(1時間30分)の倍の3時間かかる。
オマケ【宮古~紫波中央の巻】
●本当は急行バスを使えば、盛岡までの所要時間は鉄道の半分
鉄道の宮古~盛岡間は国内屈指のローカル線「山田線」だから、遅いのだ。
しかし、僕は鉄道を使う。
何故かというと・・・
●
国道106号線。
盛岡と宮古を結ぶ、川沿いのくねくねした道。
この道で無数のトンネルをくぐり、2つ3つの峠を越え、無数の橋を渡り、海に出る道程。
そして、夕焼けの空をバックに、黒く見える山々に向かって進む帰りの道程の方が、メインの「海遊び」に勝る僕の関心事だった。
ご覧の通り、道はガラガラ。
近年、盛岡~宮古間に高規格道路が通り、この道は旧道扱いになった。
バスは当然高規格道路を通り、この「思い出の道路」は見られない。
だから、僕は時間のかかる鉄道を選択したのだが・・・
『ここまで過疎るものか?』
15年ほど前の真夏、2代前の愛車(FB-08X)で宮古の手前まで下った時も限界チックな集落だらけだったが、幹線道路ということもあって、クルマだけはとにかくたくさん走っていた106号線。
今、ガラガラになった道路の沿線には、完全に活気を失った集落、空き家、空き店舗が散見される。
『・・・まあ、こうやって変わってくんだよな』
親もいずれいなくなるし、町村も変わっていくし、そう変わらんうちに僕もいなくなる。
そういうもんだけど、同じもの事について記憶を共有している人がいる間に、色々な事を話しておきたいよなあ、とは思うな。
勿論、そういう人たちを増やす努力も当然すべきではある。
ただ、やはり、思い出がもつ温かみというものもあるしな。
なるほど、歳をとるとこういう事を感じるんだな・・・

早いうちにこの道は走っておこう。
懐かしい夕焼け空のあと、あたりは暗闇に包まれて、何も見えなくなった。
列車に乗っているのは僕以外は16~17歳くらいの高校生。
みんな、宮古から1時間ほど離れた山間の集落から登校しているらしい。
彼ら、彼女らはこの後、どんな進路をとるんだろう。
やはり何かしらの関心・好奇心を持って都会に出ていくのだろうか。30年前の僕の様に・・・
・・・ってか、真っ暗で何も見えない中、列車乗り続けるの苦痛


やっぱ急行バスにすりゃよかった


もう、いい歳なんだから、いい加減学ぼう!
(おしまい)
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コメント
コメント一覧 (2)
やっぱり、北三陸はハードっすね!
あのぉ~、夏ばっぱの旗ふった浜をスルーしてませんか…
近々、大女優鈴鹿ひろ美コンサート行ってきます!
KOU
が
しました
コメントありがとうございます。
夏ばっばの浜、ありましたね!
そのあたり走ってる時はもうかなりヘロヘロで、すっかり忘れてました^^;
「鈴鹿ひろ美」のコンサート、いいですね!アキちゃんも見に行ってそう(笑)
中森明菜も復活するみたいだし、あの世代のみなさんは元気ですよね。
KOU
が
しました