●2022年5月6日(金)14:33
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僕は、岩手県久慈市の小袖海岸で、小さな灯台を眺めていた









●2013年朝ドラで、能年さんがバンバン海に飛び込んでいた場所(*v.v)。。
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岩手を舞台とするパートが多くて、熱心に見ていた「あまちゃん」。
今みたく度々テレワークあるわけでもないのに、毎朝オンタイムで視聴していた!

15分間愉しいひと時を過ごし、徒歩10分でオフィスに出勤、折り合いの悪い上司(当時)と向き合い10数時間苦痛の業務をこなした日々・・・
今思えば、「あまちゃん」放送されてなかったら転職してた可能性少なくない










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ここには「小袖海女センター」なるものがある。
「あまちゃん」ゆかりの展示物があったり、作中に登場した「まめぶ汁」なども販売されている。











●立ち寄っていきたいが、時間がない
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4時出発時点での3時間近い余裕を食いつぶし、目標時間の15時に対して12分の遅れ!
休憩らしい休憩、とってないのに!










●しゃあない、駅に向かおう
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ここでXPERIAを操作して「潮騒のメモリー」をかける。
僕のXPERIAには天野春子(小泉今日子)ver.と鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろ子)ver.(ハイレゾ版)どちらも入っている。
























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『・・・












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およそ30年前、初めて来た時と同じくらいガラガラの小袖海岸。














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まだ、10代だった。














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つりがね洞。
花崗岩でできた、小袖海岸を代表する奇岩。
6月の夏至の頃の数日間、海食洞の中に御来光のような朝日を見ることができる。











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5kmほどで小袖海岸は終わり・・・












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久慈市街への道を進む










そして・・・











●2022年5月6日(金)15:00
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予定時刻15時ジャスト、三陸鉄道「久慈駅」に到着。
本日の走行キョリは124km。
3日間通算キョリは304kmだった。

















●リアス式海岸300km走り切った


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17歳とかじゃないんだし、こういうバカげた事はもうこりごりだ。












●お隣のJR久慈駅前で、珍しい光景
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こんなスカスカの駅前で事故れるおばさん、ある意味凄い。














●駅前を眺むる。
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劇中、「北三陸市」観光協会が入っていたビル(「久慈駅前百貨店」跡)だ。















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たしか、劇中「アマーソニック」で使われる予定だった看板だったかな。













●周辺には「あまちゃん」関係の掲示板が散見される
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つい、昨日の様だけど、10年前なんだよな。










●三陸鉄道「久慈駅」
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劇中、「北三陸駅」で天野春子が切り盛りしてたスナックみたいなのは無い。















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ここは終着・始発駅で、全列車南行き。

















●大吉さんと吉田くんがいた
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三陸鉄道株式会社「久慈駅」の名誉駅員という。
当時、おっさんに見えた2人も、自分が完全におっさんになった今見ると、若い!












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少しセピア色になったポスターの中で、当時19歳の能年さんの笑顔が弾けている













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●おっと!
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いかんいかん、大切な事を忘れていた!
「16:15の電車に乗ればいいのに15:00着でこの駅を目指した理由」を食さねば







それはもちろん







●うに弁当!
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それは「あまちゃん」にも出てきた三陸の名物弁当!
創始者はポタ途中に通った普代村の旅館の女将さんで、1980年代半ばに列車内で販売し始め、現在に至る。

ケチケチ期間ゆえ、こんな高価なお弁当食べてはいけない身だが、この弁当だけは仕方ない。

うに弁当ひとつください!」


















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KOU:「ああっ!」



















●「・・・天たまそばください」
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やれやれ、何のために頑張ってきたんだか
















●まあ、でも、来てよかった
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なんていうか、色々と「時のながれ」を感じたポタ旅。
「あまちゃん」だけでなく、宮城の平野も、石巻も、高田松原も、盛も、釜石も、浪板海岸も、R45も、宮古も、小袖海岸も。











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離れた故郷を走ると、自然と「追憶の旅」になるのは当然だろう。













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「故郷」にあたたかみを感じられるのは、まだ、そこに元気な両親が健在だからだろう。
いずれいなくなったら、それを感じるには、全て「思い出」に頼らなければならないのかも知れない。











そんな事を感じながら、僕の三陸縦断の旅は終わった。

終わったのだ(*v.v)。。











終わったのだが・・・













三陸タイトル図


(11)

「小袖海岸~久慈」の巻















●僕の実家は三陸海岸沿いにあるわけではない
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鉄道で移動するルートに関していえば、宮古駅から先の方が長い。

実は、宮古~紫波中央の移動は久慈~宮古間(1時間30分)の倍の3時間かかる















オマケ【宮古~紫波中央の巻】













●本当は急行バスを使えば、盛岡までの所要時間は鉄道の半分
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鉄道の宮古~盛岡間は国内屈指のローカル線「山田線」だから、遅いのだ。

しかし、僕は鉄道を使う。

何故かというと・・・











鉄オタだから 鉄道と並走するこの「道」こそ、僕の「海の思い出」だから(*v.v)。。
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国道106号線。

盛岡と宮古を結ぶ、川沿いのくねくねした道。

この道で無数のトンネルをくぐり、2つ3つの峠を越え、無数の橋を渡り、海に出る道程。

そして、夕焼けの空をバックに、黒く見える山々に向かって進む帰りの道程の方が、メインの「海遊び」に勝る僕の関心事だった。













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ご覧の通り、道はガラガラ。

近年、盛岡~宮古間に高規格道路が通り、この道は旧道扱いになった。

バスは当然高規格道路を通り、この「思い出の道路」は見られない。

だから、僕は時間のかかる鉄道を選択したのだが・・・














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『ここまで過疎るものか?』

15年ほど前の真夏、2代前の愛車(FB-08X)で宮古の手前まで下った時も限界チックな集落だらけだったが、幹線道路ということもあって、クルマだけはとにかくたくさん走っていた106号線。

今、ガラガラになった道路の沿線には、完全に活気を失った集落、空き家、空き店舗が散見される。










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『・・・まあ、こうやって変わってくんだよな』

親もいずれいなくなるし、町村も変わっていくし、そう変わらんうちに僕もいなくなる。

そういうもんだけど、同じもの事について記憶を共有している人がいる間に、色々な事を話しておきたいよなあ、とは思うな。

勿論、そういう人たちを増やす努力も当然すべきではある。

ただ、やはり、思い出がもつ温かみというものもあるしな。

なるほど、歳をとるとこういう事を感じるんだな・・・

早いうちにこの道は走っておこう。










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懐かしい夕焼け空のあと、あたりは暗闇に包まれて、何も見えなくなった。

列車に乗っているのは僕以外は16~17歳くらいの高校生。













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みんな、宮古から1時間ほど離れた山間の集落から登校しているらしい。

彼ら、彼女らはこの後、どんな進路をとるんだろう。

やはり何かしらの関心・好奇心を持って都会に出ていくのだろうか。30年前の僕の様に・・・












・・・ってか、真っ暗で何も見えない中、列車乗り続けるの苦痛

やっぱ急行バスにすりゃよかった













●21:10 紫波中央到着
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ポタ旅でクタクタになった後で4時間30分普通列車に乗るとか拷問だね

もう、いい歳なんだから、いい加減学ぼう!





(おしまい)









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