●2018年11月4日 8:00すぎ
上松宿の旅館を出発し、晩秋の木曽路をのんびりとポタる~♪
美しい・・・(*v.v)。。
ブログでもう何回も紹介している通り、木曽路を南方向に進むポタは「基本下り」なので、とてもラク
BROMPTONの様なミニベロでも、のんびり走っても平均速度25km/h程度の区間が珍しくないほど。
どこにも立ち寄らずに走れば、毎時30km越えすら不可能ではあるまい。
●小野の滝
このルートは、僕みたくあまり疲れずに長距離を走って旅気分を味わいたい「ワガママポタリスト」に最適
さあ、サクサク下っていこう
(4)上松~三留野宿 篇
●木曽路ポタテーマ曲(*v.v)。。 NOMADIC NATION 2「Esperanza LONG」(KONAMI 2014)
●ルートMAP
旅の中間点・上松宿を出発して、次に立ち寄るのは「須原宿」。
過去走った時に気づかなかった旧道(江戸時代のルート)があるのを知り、通る。
当然、バイパスは通らずに宿場へと吸い込まれていく
●須原宿
中山道において、江戸から39番目の宿場町。
妻籠や奈良井の様ににぎわっているわけでもないのだが、雰囲気が好きな宿場だ。
江戸時代には、木曽で最も栄えた宿場という。
注意深く建物を見て歩くと、200年前まで使われていた旅籠の講の札などが散見されて、とても趣深い
・・・まあ、水戸黄門の諸国漫遊シーンなどに惹かれたような人なら楽しめる宿場といえよう。
庫裏やお庭が見ごたえある定勝寺。
立ち寄っていきたいところだが、今日は天気が少し不安なので、先を急ぐことにする。
須原宿内でよく見かける「水舟」は、近くの山から流れ出た清水を活用した水場だ。
一番上が飲み水、その下が野菜洗いの水、その下が洗濯用の水・・・など、段になっているものもある。
須原宿をサッと抜け、さらにどんどん下っていく。
●しばらく走ると野尻宿周辺に
この宿場は、バイパスで通過したことしかなかった。
薮原~馬籠を1日で走る場合、後に控える「馬籠峠」を考慮して、このあたりは省略してしまうんだよな。
場所がちょっとわかりにくいが、この先にあるらしい。
●野尻宿
中山道において江戸から40番目の宿場。
往時は、木曽路において奈良井宿に次ぐ長さを誇ったところというが・・・
昔日の面影を留める様な建築物はほぼ見当たらず、本陣の碑が残るのみ・・・
ただ、「七曲り」と呼ばれた、ぐにゃぐにゃ曲がる長い町並みは、確かに、特徴的にも思う
●野尻宿を通過して、さらに南下
結局、須原宿にも野尻宿にも、朝ご飯を購入できる様なお店は無かった。
●まあ、いいや。のんびりいこう
野尻宿~三留野宿間も、とてものどかな区間だ
●そういえば・・・
ここは2016年夏に「ポタ倶楽部メンバーで旅気分味わいたい」と思い、先行して探索したルートだったが
少し遠めの輪行(近いんだけどな)は億劫な人が多いらしく、以降、僕も誘わなくなった。
僕はその後四季折々でここを走っていて、今ではすっかりお気に入りのルートだ
木曽路の中でも、この辺が一番走りやすくて、気持ちいいかも知れない
●・・・おや
いつもよりのんびり走っていると、いつも気づいていなかったものによく気づくようだ。
これはなんだ?
国道の下を通る沢の水路に、人道橋?が通してあった。
どうも、木曽路の古道はここで二手に分かれているのかも知れない。
●僕は、自転車で走れる方を選んで、ぐんぐん下っていく~♪
木曽川も、鳥居峠近くの沢の頃より、だいぶ大きくなってきた。
そして・・・
●三留野宿(みどのじゅく)
中山道において江戸から41番目の宿場。
ここでも、今まで僕が気づかなかった古い入口があったのを知る
三留野宿本陣跡。
この宿場でも、往時の街並みの様なものは残念ながら見当たらないが・・・
ところどころのこういった樹木や・・・
建築物のカタチ、そして、基礎の巨岩などで、往時のオリジナリティを感じる事が出来る
この宿場では、木曽方面に向かう外国人トレッカー数名とすれ違った。
三留野宿といえば、江戸時代の宿場より、明治以降の電源開発系史跡が見どころあるかもだ。
当ブログでもおなじみの「桃介橋」。
明治~大正期の「日本の電力王」福沢桃介の手による橋で、久々の記念撮影 パシャッ!
さて、出発してから3時間ほど経過し、時刻は10時45分頃。
三留野宿の喫茶店でブランチでも取って、ラスト・妻籠~馬籠宿を走り抜き、木曽路走破を完結しよう
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