●いい加減、冬眠から目覚めなければ
昨年(2021年)11月、大失敗に終わった木曽路極限ポタから早3か月以上過ぎたが、全く旅もポタもしていない。
今月、3泊4日で飛ぶ予定だった石垣島旅ポタがオミクロン拡大で中止になって始動の気も削がれてしまっているが、このままではいけない。
●とはいえ、名古屋周辺を走るにしても、ちょっとまだ寒いんだよなあ・・・
2年前(2020)、真冬のオホーツクをポタしたこともあったけど、あれはちゃんとした目的がある旅だから寒くない(むしろアツい)わけであり、住んでる町の周りを真冬に走るなんて、体感的にもネタ的にも激寒。
『こんな時に始動するのであれば、明確に施設に行くのがいいだろうな』
そこで・・・
先の名古屋ポタおススメスポット記事(後篇)の最後に紹介したガーデンふ頭、久々にのんびり見学してみることに!
ガーデンふ頭までのキョリは、ウチから約13km。
大名古屋駅からのキョリも同じようなものだ。
●気温6度、トレンチコート羽織っててもかなり肌寒いぞ
マイナス15度のオホーツクとか全然寒くなかったのに、ふしぎだ。
ただまあ、久々のポタはやっぱ気持ちいいね!
●ガーデンふ頭にサクッと到着!
今日は、正面のポートビル内の「海洋博物館」、「展望室」、および「南極観測船ふじ」を見学する。
その前に、3号岸壁より大名古屋港を眺める
ちなみに、名古屋に住み始めて既に10余年、何度もガーデンふ頭に来ているけれど、ここに船が停泊しているのを見たことが無い。
客船が寄港する場所と聞いているんだけれどねえ。
まあいいや、寒いし、とっととビルに入ろう!
●名古屋ポートビル
帆船の帆を模したという高さ63m・7階建ての建物の1Fは、いかにも公共施設らしい「無料休憩所」のスペースが広くとられている。
この部屋の隣には海を眺められるカウンターテーブルの休憩所があり、軽食などを持ち込んで休むのに便利。
僕も、いつもの様に作ってきたおむすびを頂き、小休憩(*v.v)。。
その後、インフォメーションカウンター隣にある券売機で共通券(大人710円)を購入し、エレベーターで3Fへと向かう。
(3F・海洋博物館)
事実上、日本最大の貿易港・工業港である大名古屋港の歴史や仕組み、出来事、様々な船舶他について充実した展示を持つ学びの場だ。
大名古屋港とコンテナ船が往来している主要な港が紹介されている。
なるほど、スエズ運河を通ってヨーロッパ方面へ行くんだね
ジャカルタとかコロンボとか、カオスっぽくて面白そう。早く行けるようになってほしいもんだ。
こっちはアメリカ方面。パナマ運河を通ってカリブ海へ抜けるんだね
僕が今一番行きたいのは、何と言っても「パナマ」であり「キューバ」だ。
「メキシコ」と合わせて、マジで早く往来できる様になってほしい!
港でたまに見かけるシーパース。
タンカーが接岸してオイルをやりとりする施設なのだが、こういう構造らしいぞ
ウチのリビングくらいの面積がありそうな大名古屋港の巨大ジオラマ。
ひみつのボタンを押すと、その場所が点灯すると同時にモニターで解説映像が流れる
今、紹介されているのは大名古屋港を横断する「伊勢湾岸自動車道(名港トリトン)」だ。
こちらは昔の大名古屋の湊。
先のポタスポット紹介記事でも触れた「宮の渡し」のジオラマ。
さすが、東海道最大の宿場だった「宮の宿」。かなりいい感じで雰囲気を味わえる。
しかし・・・
『あれ?こんなのあったっけ??』
東浜御殿・・・宮の宿の東側の海に浮かんでいるぞ。
家に帰ってきてから調べてみると・・・
『最近(2018年)、詳細資料が見つかったのか!』
どうやら、宮の渡しの隣に「徳川将軍をもてなす為の海上御殿」があって、その全貌が判ったのだそうだ。
いやあ、面白いもんだな。地形だけでも現代まで遺っていれば最高だったのにね。
(ジオラマは以前からもこうだったかも知れない)
江戸時代の各地の港の図
こうやって見ると、「僕は日本の海岸線を殆ど走った事がないんだなあ」と思い知らされる。
俺さんとかなら、殆ど走っているかも知れない。
少し昔の大名古屋港の模様。
大型船と港の間で、人や物を運ぶために使われた艀(はしけ)だ。
家族はこの船の中で生活しており、子供が学校に通う時は寮に入って通学、土曜日と日曜日だけ「家」たる艀に戻ってくるという生活をしていたという。
日本中の港でそういった光景があったそうだが、高度成長期に入ると次第に姿を消していったそうだ。
明治期の大名古屋港の模様。
こういう港から船旅、憧れる(*v.v)。。
世界のどっかに、ノスタルジックな港がのこっているのであろうか。
1959(昭和34)年・伊勢湾台風の様子。
名古屋に住んでいると、現代でも台風や豪雨関連のニュース他で「伊勢湾台風」の名前を聞く。
前の家はゼロメートル地帯にあって、大雨の時に肝を冷やした事もあったけれど、まあ、名古屋市民なら一度見ていて損は無い展示かも知れん。
実際は、今紹介した分の4倍以上の展示があり、こういうのが好きな人なら、じっくりと2時間くらいは十分愉しめると思う。
(7F・展望室)
大名古屋港と一望できる展望室だ。
とはいえ、高さ60m程度という事もあって、大した眺望でもない
日没後なら、夜景は大変綺麗だろうが・・・
次に向かうはラストの「南極観測船ふじ」。
1965~1983年にかけて就役した日本国2代目の南極観測船。
探検ロマンの塊といえよう(*v.v)。。
(南極観測船ふじ)
前回入ったのはもう10年くらい前か。
実に久しぶりだ!
あー、前にもこれもらったっけな。
もしかすれば「8,888,888番目」は狙えるかも知れない。
本当は9,999,999番目がほしいな。
「ふじ」船内の紹介は、僕の説明が余計になっちゃうかもなあとすら思う。
ホント、往時の様子そのままの展示は素晴らしい
調理室。
火災防止のため電気または蒸気式の器具で調理していたという。
ちなみに、野菜の一部は調理室で栽培もしていた。
南極観測船は現・防衛省所属の艦船。
乗組員は海上自衛官であり、そこに研究者などからなる南極観測隊が同乗するという構図になる。
船内の部屋も海上自衛官用の船室が並ぶ区画と、南極観測隊員の船室が並ぶ区画である程度わかれていたみたい。
まずは、自衛官の居室から見てみよう。
海上自衛官の士官室。
士官と言えども、船長以外の士官については「2人1部屋」だったみたい
ここも士官室。
正直、信じられないほど狭い。
ここも士官室。
僕の後からやってきた子供がしきりに「狭い!」と言っていたのが印象的だった。
そう、こういう部屋に興味津々になりそうな子供が見ても「狭い!」部屋なのだ。
これで1人部屋だったら最高だが、2人部屋の時点で僕はこの旅に耐えられそうもない。
医務室。
他に歯科用の医務室もある。
日本⇔南極の後悔日数は3週間なので、こういった施設も必要なのだ。
ひときわ目立つのがこの理髪室。
サインポールも当時から本当にあったらしい。
異常なほど揺れる船でこういう余計なものを装備しているというのが、実にユニーク
専門の理容師はいなかったそうで、手先が器用な人がカットを担当していたという。
ちなみに、この理髪室は2017年に「理容遺産」に登録されたそうだ。
こちらは士官より格が下がる専任曹長(現場リーダー)の居室。
3人部屋だそうだ。もはや、拷問以外の何物でもない。
そして、こちらは専任曹長未満の一般乗組員のベッド。
ベッドですらない「簡易ベッド」で、しかも3段式。
地獄といえよう。
そして、こちらは南極観測隊員の居室で、士官と同じ2人部屋だ。
さっきからずっと思うが、ベッドの長さが物凄く短い。まるで子供用のベッド。
現代の観測船では、さすがにもう少し環境が改善しているであろうか
・・・と、住環境に散々ケチつけてはみたものの、やはりこの船のロマンは凄い!
乗組員の方も、調査隊の方も、こういう旅はかげがえの無い経験であり思い出になるだろう。
ほんと、素晴らしい。
甲板への出口付近では色々な展示物があり、ここも非常に面白い。
歴代の南極観測船だけご紹介しておこう。
初代南極観測船・宗谷
建造:1938年
南極観測船就役:1956~1962年
全長:83m 満載排水量:4,614トン
軸馬力:4,800PS 最大速力12.3ノット
乗組員数:96名 隊員数:34名
連続砕氷能力:なし
ソ連向けの砕氷商船として建造されたものが帝国海軍に買い上げられて特務艦となり、その後、海上保安庁の灯台補給船となった経歴を持つ。砕氷能力は最大でも厚さ40cm。まともな砕氷能力を持たないため、南極海の氷に閉じ込められる事もあり、他国の船に救援されたりもした。
現在は台場「船の博物館」にて記念館として展示。
2代目南極観測船・ふじ
建造:1965年
南極観測船就役:1965~1983年
全長:100m 満載排水量:9,120トン
軸馬力:12,000PS 最大速力17.2ノット
乗組員数:182名 隊員数:40名
連続砕氷能力:0.8m(3ノットで)
砕氷艦として能力不足だった宗谷に代わり、国内初の本格的な砕氷能力を持つ艦船として建造された。
現在、大名古屋のガーデンふ頭で展示中。
3代目南極観測船・しらせ(初代)
建造:1982年
南極観測船就役:1983~2008年
全長:134m 満載排水量:18,990トン
軸馬力:30,000PS 最大速力19.0ノット
乗組員数:174名 隊員数:60名
連続砕氷能力:1.5m(3ノットで)
「ふじ」と比べて格段に大きく、海上自衛隊でも長らく最大級の艦船だった「しらせ」。実は「ふじ」でもパワー不足で、南極海の状況によっては昭和基地近くに接岸できないことが度々あったのだそうだ。それに対応して倍以上にパワーアップ。しらせ就役以降、氷厚原因で南極大陸に接岸できないという事は無くなった。また、船体が大きくなりつつも乗員数は減っており、居住環境が相当改善していると思われる。
南極観測船引退後「ウェザーニュース社」が買い上げており、民間の南極調査船として運用されている他、見学も可能らしい(現在はコロナの影響で中断)。
4代目南極観測船・しらせ(2代目)
建造:2009年
南極観測船就役:2009~就役中
全長:138m 満載排水量:20,000トン
軸馬力:30,000PS 最大速力19.5ノット
乗組員数:179名 隊員数:80名
連続砕氷能力:1.5m(3ノットで)
最新の南極観測船。南極観測隊員数は「ふじ」の時代の倍になっている。
2020年の「鳥取まで行けるかポタ」の際、立ち寄り地の舞鶴港でたまたま見かけて感動したことを覚えている。海上自衛隊の全艦船の中で、ぶっちぎりで大好きで「カッコイイ」と思う艦だ!
・・・と、いう風に、「ふじ」は、「船」だとか「探検」だとかが大好きな人であれば、存分に愉しめる展示船なのである。
甲板に出てきた。
本当はこの後ブリッジの見学もできるのだが、現在、整備工事中のため立ち入りできない。
まあ、それでも大満足だ
ガーデンふ頭はサクッと見て回ったとして1.5時間、ガッチリ愉しもうとすれば半日程度は見学できる施設と思う。
やっぱ、ここはなかなかいいスポットだよ
(おしまい)
昨年(2021年)11月、大失敗に終わった木曽路極限ポタから早3か月以上過ぎたが、全く旅もポタもしていない。
今月、3泊4日で飛ぶ予定だった石垣島旅ポタがオミクロン拡大で中止になって始動の気も削がれてしまっているが、このままではいけない。
●とはいえ、名古屋周辺を走るにしても、ちょっとまだ寒いんだよなあ・・・
2年前(2020)、真冬のオホーツクをポタしたこともあったけど、あれはちゃんとした目的がある旅だから寒くない(むしろアツい)わけであり、住んでる町の周りを真冬に走るなんて、体感的にもネタ的にも激寒。
『こんな時に始動するのであれば、明確に施設に行くのがいいだろうな』
そこで・・・
先の名古屋ポタおススメスポット記事(後篇)の最後に紹介したガーデンふ頭、久々にのんびり見学してみることに!
ガーデンふ頭までのキョリは、ウチから約13km。
大名古屋駅からのキョリも同じようなものだ。
●気温6度、トレンチコート羽織っててもかなり肌寒いぞ
マイナス15度のオホーツクとか全然寒くなかったのに、ふしぎだ。
ただまあ、久々のポタはやっぱ気持ちいいね!
●ガーデンふ頭にサクッと到着!
今日は、正面のポートビル内の「海洋博物館」、「展望室」、および「南極観測船ふじ」を見学する。
その前に、3号岸壁より大名古屋港を眺める
ちなみに、名古屋に住み始めて既に10余年、何度もガーデンふ頭に来ているけれど、ここに船が停泊しているのを見たことが無い。
客船が寄港する場所と聞いているんだけれどねえ。
まあいいや、寒いし、とっととビルに入ろう!
●名古屋ポートビル
帆船の帆を模したという高さ63m・7階建ての建物の1Fは、いかにも公共施設らしい「無料休憩所」のスペースが広くとられている。
この部屋の隣には海を眺められるカウンターテーブルの休憩所があり、軽食などを持ち込んで休むのに便利。
僕も、いつもの様に作ってきたおむすびを頂き、小休憩(*v.v)。。
その後、インフォメーションカウンター隣にある券売機で共通券(大人710円)を購入し、エレベーターで3Fへと向かう。
(3F・海洋博物館)
事実上、日本最大の貿易港・工業港である大名古屋港の歴史や仕組み、出来事、様々な船舶他について充実した展示を持つ学びの場だ。
大名古屋港とコンテナ船が往来している主要な港が紹介されている。
なるほど、スエズ運河を通ってヨーロッパ方面へ行くんだね
ジャカルタとかコロンボとか、カオスっぽくて面白そう。早く行けるようになってほしいもんだ。
こっちはアメリカ方面。パナマ運河を通ってカリブ海へ抜けるんだね
僕が今一番行きたいのは、何と言っても「パナマ」であり「キューバ」だ。
「メキシコ」と合わせて、マジで早く往来できる様になってほしい!
港でたまに見かけるシーパース。
タンカーが接岸してオイルをやりとりする施設なのだが、こういう構造らしいぞ
ウチのリビングくらいの面積がありそうな大名古屋港の巨大ジオラマ。
ひみつのボタンを押すと、その場所が点灯すると同時にモニターで解説映像が流れる
今、紹介されているのは大名古屋港を横断する「伊勢湾岸自動車道(名港トリトン)」だ。
こちらは昔の大名古屋の湊。
先のポタスポット紹介記事でも触れた「宮の渡し」のジオラマ。
さすが、東海道最大の宿場だった「宮の宿」。かなりいい感じで雰囲気を味わえる。
しかし・・・
『あれ?こんなのあったっけ??』
東浜御殿・・・宮の宿の東側の海に浮かんでいるぞ。
家に帰ってきてから調べてみると・・・
『最近(2018年)、詳細資料が見つかったのか!』
どうやら、宮の渡しの隣に「徳川将軍をもてなす為の海上御殿」があって、その全貌が判ったのだそうだ。
いやあ、面白いもんだな。地形だけでも現代まで遺っていれば最高だったのにね。
(ジオラマは以前からもこうだったかも知れない)
江戸時代の各地の港の図
こうやって見ると、「僕は日本の海岸線を殆ど走った事がないんだなあ」と思い知らされる。
俺さんとかなら、殆ど走っているかも知れない。
少し昔の大名古屋港の模様。
大型船と港の間で、人や物を運ぶために使われた艀(はしけ)だ。
家族はこの船の中で生活しており、子供が学校に通う時は寮に入って通学、土曜日と日曜日だけ「家」たる艀に戻ってくるという生活をしていたという。
日本中の港でそういった光景があったそうだが、高度成長期に入ると次第に姿を消していったそうだ。
明治期の大名古屋港の模様。
こういう港から船旅、憧れる(*v.v)。。
世界のどっかに、ノスタルジックな港がのこっているのであろうか。
1959(昭和34)年・伊勢湾台風の様子。
名古屋に住んでいると、現代でも台風や豪雨関連のニュース他で「伊勢湾台風」の名前を聞く。
前の家はゼロメートル地帯にあって、大雨の時に肝を冷やした事もあったけれど、まあ、名古屋市民なら一度見ていて損は無い展示かも知れん。
実際は、今紹介した分の4倍以上の展示があり、こういうのが好きな人なら、じっくりと2時間くらいは十分愉しめると思う。
(7F・展望室)
大名古屋港と一望できる展望室だ。
とはいえ、高さ60m程度という事もあって、大した眺望でもない
日没後なら、夜景は大変綺麗だろうが・・・
次に向かうはラストの「南極観測船ふじ」。
1965~1983年にかけて就役した日本国2代目の南極観測船。
探検ロマンの塊といえよう(*v.v)。。
(南極観測船ふじ)
前回入ったのはもう10年くらい前か。
実に久しぶりだ!
あー、前にもこれもらったっけな。
もしかすれば「8,888,888番目」は狙えるかも知れない。
本当は9,999,999番目がほしいな。
「ふじ」船内の紹介は、僕の説明が余計になっちゃうかもなあとすら思う。
ホント、往時の様子そのままの展示は素晴らしい
調理室。
火災防止のため電気または蒸気式の器具で調理していたという。
ちなみに、野菜の一部は調理室で栽培もしていた。
南極観測船は現・防衛省所属の艦船。
乗組員は海上自衛官であり、そこに研究者などからなる南極観測隊が同乗するという構図になる。
船内の部屋も海上自衛官用の船室が並ぶ区画と、南極観測隊員の船室が並ぶ区画である程度わかれていたみたい。
まずは、自衛官の居室から見てみよう。
海上自衛官の士官室。
士官と言えども、船長以外の士官については「2人1部屋」だったみたい
ここも士官室。
正直、信じられないほど狭い。
ここも士官室。
僕の後からやってきた子供がしきりに「狭い!」と言っていたのが印象的だった。
そう、こういう部屋に興味津々になりそうな子供が見ても「狭い!」部屋なのだ。
これで1人部屋だったら最高だが、2人部屋の時点で僕はこの旅に耐えられそうもない。
医務室。
他に歯科用の医務室もある。
日本⇔南極の後悔日数は3週間なので、こういった施設も必要なのだ。
ひときわ目立つのがこの理髪室。
サインポールも当時から本当にあったらしい。
異常なほど揺れる船でこういう余計なものを装備しているというのが、実にユニーク
専門の理容師はいなかったそうで、手先が器用な人がカットを担当していたという。
ちなみに、この理髪室は2017年に「理容遺産」に登録されたそうだ。
こちらは士官より格が下がる専任曹長(現場リーダー)の居室。
3人部屋だそうだ。もはや、拷問以外の何物でもない。
そして、こちらは専任曹長未満の一般乗組員のベッド。
ベッドですらない「簡易ベッド」で、しかも3段式。
地獄といえよう。
そして、こちらは南極観測隊員の居室で、士官と同じ2人部屋だ。
さっきからずっと思うが、ベッドの長さが物凄く短い。まるで子供用のベッド。
現代の観測船では、さすがにもう少し環境が改善しているであろうか
・・・と、住環境に散々ケチつけてはみたものの、やはりこの船のロマンは凄い!
乗組員の方も、調査隊の方も、こういう旅はかげがえの無い経験であり思い出になるだろう。
ほんと、素晴らしい。
甲板への出口付近では色々な展示物があり、ここも非常に面白い。
歴代の南極観測船だけご紹介しておこう。
初代南極観測船・宗谷
建造:1938年
南極観測船就役:1956~1962年
全長:83m 満載排水量:4,614トン
軸馬力:4,800PS 最大速力12.3ノット
乗組員数:96名 隊員数:34名
連続砕氷能力:なし
ソ連向けの砕氷商船として建造されたものが帝国海軍に買い上げられて特務艦となり、その後、海上保安庁の灯台補給船となった経歴を持つ。砕氷能力は最大でも厚さ40cm。まともな砕氷能力を持たないため、南極海の氷に閉じ込められる事もあり、他国の船に救援されたりもした。
現在は台場「船の博物館」にて記念館として展示。
2代目南極観測船・ふじ
建造:1965年
南極観測船就役:1965~1983年
全長:100m 満載排水量:9,120トン
軸馬力:12,000PS 最大速力17.2ノット
乗組員数:182名 隊員数:40名
連続砕氷能力:0.8m(3ノットで)
砕氷艦として能力不足だった宗谷に代わり、国内初の本格的な砕氷能力を持つ艦船として建造された。
現在、大名古屋のガーデンふ頭で展示中。
3代目南極観測船・しらせ(初代)
建造:1982年
南極観測船就役:1983~2008年
全長:134m 満載排水量:18,990トン
軸馬力:30,000PS 最大速力19.0ノット
乗組員数:174名 隊員数:60名
連続砕氷能力:1.5m(3ノットで)
「ふじ」と比べて格段に大きく、海上自衛隊でも長らく最大級の艦船だった「しらせ」。実は「ふじ」でもパワー不足で、南極海の状況によっては昭和基地近くに接岸できないことが度々あったのだそうだ。それに対応して倍以上にパワーアップ。しらせ就役以降、氷厚原因で南極大陸に接岸できないという事は無くなった。また、船体が大きくなりつつも乗員数は減っており、居住環境が相当改善していると思われる。
南極観測船引退後「ウェザーニュース社」が買い上げており、民間の南極調査船として運用されている他、見学も可能らしい(現在はコロナの影響で中断)。
4代目南極観測船・しらせ(2代目)
建造:2009年
南極観測船就役:2009~就役中
全長:138m 満載排水量:20,000トン
軸馬力:30,000PS 最大速力19.5ノット
乗組員数:179名 隊員数:80名
連続砕氷能力:1.5m(3ノットで)
最新の南極観測船。南極観測隊員数は「ふじ」の時代の倍になっている。
2020年の「鳥取まで行けるかポタ」の際、立ち寄り地の舞鶴港でたまたま見かけて感動したことを覚えている。海上自衛隊の全艦船の中で、ぶっちぎりで大好きで「カッコイイ」と思う艦だ!
・・・と、いう風に、「ふじ」は、「船」だとか「探検」だとかが大好きな人であれば、存分に愉しめる展示船なのである。
甲板に出てきた。
本当はこの後ブリッジの見学もできるのだが、現在、整備工事中のため立ち入りできない。
まあ、それでも大満足だ
ガーデンふ頭はサクッと見て回ったとして1.5時間、ガッチリ愉しもうとすれば半日程度は見学できる施設と思う。
やっぱ、ここはなかなかいいスポットだよ
(おしまい)
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