●今、僕は哈爾浜市の马家沟河(馬家溝川)にかかる橋の上にいる
稚内と同じ緯度だが、陽がどんどん上がってくると、それなりの陽射しになってくるな。
日焼け止めクリーム塗っとこうペタペタペタ(´ω`A)
さて、731部隊の遺構はここから20km少々南、哈爾浜市の郊外にあるらしい。
たとえ異国で寝不足で、いかにヘタレの僕だろうが楽勝過ぎるキョリだな。
●『中山路』という巨大な道路に沿って進み始める
『中山路』っていう道路、上海でも大連でも見たな。
まあ、日本人にも読みやすい、シンブルな通りの名前は好感が持てる。
これが、『进乡街』とか道路名見せられても、さっぱり共感できない (日本の漢字に直すと『進郷街』)
道路中央部では地下鉄の工事が行われているらしく、その工事現場の衝立に何やら書かれている。
『社会主義核心価値観・・・???』そういえば、このフレーズも行く先々で見かけるね。
前回、中国を旅した時は無かったと思ったが、国家の新しいスローガンだろうか。
●黒龍江省政府前を通過する
30年前、まだ小学生だった僕は『アサヒグラフ』で世界中の国のデータを見るのがとても好きだった。
その頃、中国の『1人あたり年間所得』は日本の20分の1とか書かれていたんだよな、確か。
当時、日本人1人あたり平均月収が19万いくらに対して、中国人のそれは8,978円とかで、
衝撃を受けたのを覚えている。
今はだいぶ変わったよね。
2016年の1人あたりGDPは日本38,917ドル、中国は8,113ドル。
数字で見ればまだ差はあるけれど、この国の人口は日本の10倍ある。
今、『全日本人の平均所得が年収428万円、全中国人の平均所得が年収89.2万円』と表記されていても、
『年収428万円以上』もらっている人の実数は中国の方が既に多いんじゃないかと思ったりしている。
その後もこの国は長い年月をかけてじわじわと平均年収をあげて、
より多くの人が日本の平均所得を上回っていく・・・超巨大な国の成長って、そんな感じかと思ってる。
●とはいえ、街の中の団地はまだまだひなびた感じ
『高度成長期』を感じさせる雑然としたアパート街
いいね、こういうガチャガチャ感のある街の方が、僕の好みだ。
●だいぶ渇いてきたので、飲料を補給
そういえば、昔中国に来た時、ペラッペラのペットボトルに初めて触れて『安っぽいな~』と思ったのが、
いつの間にか、日本も含む世界中でペラッペラのペットボトルが主流になったね。。。
10kmほど走ってきたが、日本で言えば超高層建築の部類に入る建物がまだまだ多い。
とはいえ、大きな通りが高密度で走っていた都心部もそろそろ終了らしい。
『この先は田舎らしい道になるのかしら・・・?』と思ったら、しばらく文教地区っぽいエリアが続き・・・
●数キロ走ったら、いい感じになってきた
ひなびた感じの郊外っぽいガソリンスタンド。中国に限らず、大陸をドライブする旅行も楽しそう
アメリカとかね~~♪
そういえば、北京とパリを結ぶクラシックカーレースがあったな。
これ、いずれジャンボ宝くじを当てて、マジで参加しようと思う。
●この国の道路は、本当に自転車が走りやすい
自転車走行が禁止されてなければ、どんな道路でも、自転車レーンがかなりの幅を取られているということと、
なにより、交差点などで、自転車レーンが『変に曲げられたりしない』というのが大きい。
日本の様にこのレーンが狭くなったり、無くなったり、歩道に追い込まれたりする様な事がなくて、実に快適
●だいぶ田舎に入ってくると・・・
きったない店がごちゃごちゃ集まっている一角が見えてきた。
かつて西部劇に出てきた田舎町の、中国版というか・・・
この一角の裏にあるのはかなり古い造りの街かも知れない。
なんか、気になるな・・・。
と、いうか、スラムみたいな感じだ。
今、僕の足元には、地面に座り込んでポカーンと虚空を眺めている女の子がいたりするし・・・。
少し怖いが、横道を覗くと『印刷会社』とか書いてある一角だし、まあ、それほど危険もないのだろう。
どんな街なのか、のぞきに行ってみるか・・・
旅店とか書かれたあたりの一角は、おそらくは相当な安宿が集まっていて、
かなりあけっぴろげな感じのエリアだった。
中国は治安が悪いイメージは全くないが、考えてみれば、僕はこの国の裏事情を何も知らない。
この一角でトラブルに巻き込まれたら無事に出られなそうなので、そそくさと立ち去る事にする- -;
●その一角の隣には・・・
なるほど、こういう住宅街も広がっているのか
上海郊外に出かけた時は、タクシーの車窓から眺めるだけだったが、間近で見ると結構な迫力を感じる。
立ち寄りたいところだが、まずは731部隊の遺構を目指そう。
・・・と
●おや?幹線道路沿いにあるこの施設は・・・?
フルーツのオブジェが気になり、門柱の看板を覗き込む。
●あっ!
『国家野菜改良センター』
『国家農業科学技術師範農場』
『黒龍江省野菜技術センター』
『黒龍江省特色果物野菜加工パイロットファーム』
・・・中国の農業センターの様だが、記載内容が、じいちゃんが満州国で携わった業務内容にそっくり
『まさか、ここの前身は旧農林省がじいちゃんを派遣した満州国の農業研究施設だったということは・・・』
●あるわけないか・・・
もしそうだったら、岡山大学が調査した文献に
『哈爾浜の農林省施設は、現在、中国の農業施設として運用されている』と書かれている筈。
僕はその本を購入して隅々まで読んだが、そんな記載は無かったから、あり得ない話だな。
だけど、この施設をのぞき込むと、80年前、じいちゃんがどんな環境で研究活動にあたっていたのか、
なんとなくわかった様な気がした。
●気持ちのいい道が続く
もう、731部隊施設の遺構は間近だ。
『731部隊』は日本陸軍が運営する関東軍に秘密裡に存在した化学兵器研究部隊の名称であり、
国際法上で禁止されていた数々の化学兵器・細菌兵器を開発、
その"研究"の過程の人体実験で、数多の外国人(主には中国人)犠牲者を出した事で知られる。
最近、NHKが当事者の証言テープを含む新資料を元に放送した番組では
依然として信ぴょう性を疑われる事も少なくなかった731部隊の実態が明らかにされ、
僕個人としては想像以上に非道なその内容に衝撃を受けたものだった。
また、大連の『泉』で知り合ったA氏の話によると、番組は中国人の間でも話題になったそうで、
「ついに日本が731の残虐さを認めた」という風に評価されたらしい。
(公共放送たるNHKが詳らかに放送したから、そういう風に感じているのかも知れない)
正直、じいちゃんやばあちゃんに関わった部分以外の戦局推移や戦争遺構にほとんど興味がない僕だが、
広島に行ったら原爆ドームを拝みに行くのと同じ様な感覚で、拝みに来た感じだ。
●施設の名前は『侵華日軍第731部隊遺跡』
日本人としては、その名前からして居心地が悪い。
勿論、中国政府の対日プロパガンダでもあるんだろうけれど、まあ仕方あるまい。
逃げられない様に施設に閉じ込めて、ペスト鼠やペストダニ使って伝染病に感染させられたり、
凍傷の実験とかで四肢の全部失わせられたり、そんな事やられたら、
何十年経っても『酷い事しやがって』という気持ちはなかなか消えないだろう。
それは、じいさんその他大勢の人を収容所送りにして殺したソ連をばあちゃんが終生憎んだ感覚と同じだし、
その孫である僕も、現代ロシアに対してなんか複雑な心境でいるのと同じ様にも思う。
たくさんの小学生が引率の大人に連れられてやってくる。
口々に「日本人が・・・」どうたらこうたら言っているのが聞こえてくる。
うーむ・・・。
反日教育も、多分に入っているのかも知れないな。
でも、この子たちが聞く80年前の話は、僕がその年頃で明治時代の日清・日露戦争の話を聞くのと同じ。
きっと、遠い遠い昔の出来事であり、『身近な怒り』の様なものは感じなさそう。
それより、近現代で浸透した「机器猫」や「蜡笔小新」その他の日本文化の方がよっぽど身近だろう。
(机器猫のドラ焼き)
そんな事を思いつつ、駐車券係の人に自転車置き場を訊ねてみる。
係員:「ああ、どっか適当に停めてよ」
●Unit 731 museum(侵華日軍第731部隊罪証陳列館)
中国名でこんな名前だったとは、到着してから知った
早速入りたいのだが、BROMPTONをどこに駐輪すればいいのか、まったくわからない。
少なくとも、建物の周りに駐輪出来るスペースはなさそうだ・・・。
●駐輪場を探しているうちに
施設の中に入ってきてしまった。
あれはNHKスペシャルで言っていたボイラー塔か・・・。かなり大きいな。
遺構を復元する為の調査、整備が行われているらしい。
古代遺跡の発掘現場みたいだ。
当然ながら中国人の見学者が多い様で、口々に「日本は・・・」と言っていたが、よく聞き取れない。
細菌実験室、監獄、結核菌実験室、凍傷実験室、小動物飼育室、ペスト鼠実験室、細菌虱弾貯蔵室、
毒ガス実験室云々・・・。
かなり大規模な施設だったんだね。
様々な資材、薬品、そして実験台(『丸太』と呼ばれていたそうだ)を運んでいた鉄道線も保存されている。
化学兵器、細菌兵器、凍傷などの実験台にされたわけだから、ここに収容された人は辛かったろう。
シベリアの収容所に送り込まれたじいさんと同等以上の絶望感を味わったかも知れない。
自然と、手が合わさる(-人-)
敗戦が確定し、この施設は完全に爆破して証拠を抹消する指示が出されたそうだが、
規模が大きすぎて壊しきれなかったらしい。
完全に抹消されていたら、日本として有耶無耶には出来たのだろうけれど、
痕跡が残ってよかったんだと思う。
原爆にしろアウシュビッツにしろ731にしろ、痕跡が失われたら、
色々な人の手によって、同じ事が何度も繰り返される事になるのだろう。
●月並みだけど、平和な時代に生まれてよかった・・・(´ω`)
しかし、結局、駐輪スペースを見つける事は出来なかった。
ってか、十分しんみりしたので、ホテルにチェックインしにいこうと思う。
そして、この探訪の旅のポタリングもぼちぼち大詰めが近づいてきた。
次回、少なすぎる『情報』を手に、夕闇せまる哈爾浜市内を疾走!
●ここまでの探訪ルート
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次回:その11 探走!夕暮れの哈爾浜 篇
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