●衝撃の瞬間まで90分
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地下鉄への乗車を断られた僕は、大連周水子国際空港でタクシーを捕まえて、大連市内へ向かっていた。




















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『ロマンとトレンドの街、大連』・・・





















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大連はガチで下調べゼロで来てるので何があるのかさっぱりわからんが、期待出来るのだろうか・・・?




















●衝撃の瞬間まで60分
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上海とは違って狭い路を数多く通り、タクシーはホテルに到着。

今日の投宿先は、旧満州鉄道が経営していた『ヤマトホテル』の建物で営業中の『大連賓館』

80年前、じいちゃんとばあちゃんが海を越えてこの街に渡って来た時にも、間違いなくここにあったホテルだ。




















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その時代は数ある満州鉄道ホテルの旗艦店で、最高級の調度品・サービスを提供していたらしい。

以下、wikipediaの引用



1914年(大正3年)3月に大連中心部の大広場(現中山広場)前に竣工、8月1日に移転開業した。

建設費90万円以上、完成まで4年を要したという当時としては巨大なホテルで、

客室数115室・収容人数175名を誇った。

建物の外観はイオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ぶルネサンス様式。

正面玄関には鉄製のキャノピーが設けられた。設計者は満鉄技師の太田毅と推定されている。

欧米人の宿泊客を想定して館内設備は充実しており、蒸気暖房やエレベーターも備えていた。

屋上には庭園が作られ、夏季には夜間営業を行う屋上レストラン「ルーフガーデン」が設置された。

そのほか理髪所や洗濯部、車馬部(後に自動車部)などのサービス部門が併設されていた。



僕ぐらいの身分では泊まれなかったろうが、じいちゃんは農水省の職員でそれなりに裕福だったそうだから、

ばあちゃんと一緒に泊まっていたかも知れない。

ちなみに、現代は3つ星ホテルで僕でも楽勝で泊まれる。お値段、日本円で1泊5,600円。




















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僕の部屋は矢印の場所だが、面白いカタチだね




















●衝撃の瞬間まで40分
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部屋の中は、なんか懐かしい においだった。

僕が通った小学校には明治時代に建った校舎があったが、あの音楽室のにおいに似ていた。






















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ベッドは新品でとてもきれいだが、それ以外は古さが全面に出ている感じ。

カベのヒビの補修跡もくっきり見えるね

浴室も見てみよう。




















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バスタブはあるけど、浴室自体古いタイプ。最後にリノベーションしてから20年くらいは経っているかもな。

キレイに掃除はされているものの、スキマが多い構造だけに髪の毛が少したまっていたりもする・・・






















ところどころ、これに出てくる洋館のイメージ。





















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でもまあ、古い建物だから仕方ない(むしろ、それを好んで泊まっているわけだ)。

そして、このホテルには日本語が判るスタッフがいる筈なので、いざという時には何かと心強いだろう。




















●衝撃の瞬間まで5分
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30分ほどベッドで休憩して、さて、大連のトワイライト ライドに出かけるとしよう




















●衝撃の瞬間まで3分
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わー、素敵な階段

勿論、エレベーターで降りるけれど。




















●衝撃の瞬間まで1分
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夕暮れ時の大連市街

おパリを模したというホテル前の円形広場(中山広場)は帰宅のクルマで大混雑だ。

けれど、僕はそれをすり抜けてスイスイとBROMPTONで探訪するわけさ。

上海では行けなかった港とか、街を見下ろせる丘の上とか、行ってみよう。

飛行機から見下ろした時の感じでは、間違いなく、『世界●大夜景』系の風情を楽しめる筈だ



















ホテル前に待機しているタクシーの運ちゃんたちの前で、BROMPTONのカバーを取り、

颯爽と変形させようとする・・・と・・・

あれ?

ハンドルを垂直に固定するパーツを動かす為の『ツマミ』が回らないぞ???



















なにィ!!?
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ハンドルポスト(ハンドルとタイヤをつなぐ一本状のパイプ)を固定する器具のネジがぐにゃっと曲がってる。

曲がった部分とツマミの間に挟まったコの字型のパーツは、車体に食い込むんじゃないかと思うくらい、

強く締め付けられている状態だ。

慌てて、ツマミを緩めようとしてみるも、既にめいっぱい緩んでいる状態。

なのに、ネジ部分が思いっきりひん曲がってしまっていて、ツマミもコの字パーツも全く動かない。

何一つ、ビクとも動かない。





















●『ペンチって中国語で何ていうんだ???』
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Googleで調べたら『钳子(Qiánzi)』だったが、どうせ僕の発音ではいつもの如く伝わらないだろう。

ホテルのカウンターの女の子にXPERIAの画面を直接見せたら、すぐペンチを貸してくれた。

『せっかくのオプションクランプが傷だらけに・・・』という躊躇は一瞬だけ。

車体に傷がついても構わないつもりで、渾身の力を込めてみる。

「6日間の旅程の2日目でBROMPTON使えなくなっちゃった」じゃ、ポタ倶楽部で物笑いのタネになるだけだ





















●ビクともしない
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眩暈するほど力を込めても、全然、ビクともしない




















●僕の様子を見て、ホテルスタッフやタクシーの運ちゃんが声をかけてきてくれた
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3人、修復に挑戦してくれたけれど、歪んだパーツはビクともしない。

ただ、怪力の人が少々別の方向にネジを曲けてくれたとて、走れる様にはなるまいとも思い始めていた。

ネジがまっすぐに戻らない限り、機能は回復すまい。その為には車体からネジを取り外さないと作業出来ない。

僕は今回、パンク修理道具は持ってきていたけど、レンチは持ってきていない。



















とりあえず、自転車屋を探そうか・・・。

ホテルのスタッフに『自行車店』の場所を問うが、「ホテルの近くには無いと思う」という事。

『ホントかよ』と思って、日本語が話せるスタッフに相談しようと思ったが、この時間帯は不在らしい。

しかし・・・。

僕は思う。『自転車屋があったところで、おそらく、フツーの店では直せないだろう』

ひん曲がったネジを修復するなんて、日本の自転車屋ならやらない。基本的に『パーツ交換』だ。

それは、中国でも同じだろうと思う。

と、なると、BROMPTONを取り扱っている店を探さなければならない。あのパーツはBROMPTON専用だから。

国際ローミングでネット接続しているXPERIAで「百度」を立ち上げ、中国語で検索してみる。

嫌な予感がした通り、BROMPTONを取り扱っている路面店は非常に少ないようで、大連には見当たらない。

僕の検索では中国全土で2店舗、上海市内でしか見つけられなかった。

今から朝イチの国内線で上海まで飛んでBROMPTON修理して戻ってくるべきだろうか?

しかし、往復60,000円かけてそれやったとして、次のスケジュール(寝台特急)に間に合う自信が全くない。





















『詰んだ・・・

一応、折り畳み自転車(DAHON)扱ってる店は見つけたから、そのあたりを明日当たってみるにしても、

おそらく、この旅、BROMPTONでの移動は諦めるしかないだろう。

明後日、哈爾浜市を訪問して、祖父母や父が暮らした街角をBROMPTONで探訪するつもりだったが、無念だ。

こうなってしまったのは、空輸準備で横着してしまった事に尽きる。

いつも、この部分は厳重にバスタオルでぐるぐる巻きにしていたのに、この移動では手抜きしてしまったのだ。



















●気を取り直してご飯を食べにいこう・・・
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おパリに倣って造られた円形広場『中山広場』の外周には歴史的な建物が連なっている。

これらはほとんど全て、かつて日本資本が建てたものらしい。詳しい説明はコチラ

名古屋や上海同様、音楽に合わせて踊っている人たちを背に、飲食街と思しき方向にトボトボと歩を進める。





















●行く手に映画館・・・?
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今回の旅で気づいた事には、中国の映画館は何故かド派手な外装、凝った造りの建物が多い様に感じる。

明日、自転車の修復がムリそうだったら、早々に諦めて中国映画でも見に行くのもオツかもしれないな。。。






















●映画館敷地内で突然出現した鋳像に驚く
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実際はもっと暗くて、変な人たちが固まっているのかと思った

そして、この像を眺めているうちに、内なる声がささやいてくる・・・(*v.v)。。




















「KOUよ、お前の心は絶望に固まってはいないか?」


「この像達の様に、心が『無』になってしまっていないか?」


「お前は生きている。生きているうちに、精いっぱい足掻け」


「足掻かないと、この旅、終わっちまうぞ」




















●終わりたくない!
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映画館ゾーンを抜けると細長い広場があり、そこにはまた踊っている人たちがいたが、

僕の視線はその先、いくつかの日本語の店看板に向いていた。

僕の弱点は、やはり言語力。

中国語力は勿論、英語力だって細かな意思疎通には全く足りない。

しかし、今のところ出会ってないけど、この街、フツーに日本人の住人いると思うんだよな・・・

完璧に意思疎通できる日本人と何人か会う事が、この街で『ネジを直せる職人』を見つける一番の近道に思う。

今、目の前に「とんかつ屋」、その隣に「小料理屋」の看板が見えている。

どちらの店のメニューや店内表示を見ても、完璧な日本語が使われていて、日本人が経営している様に見える。

どっちの店にも日本人がいそうだけど、どっちに入るかが運命の分かれ目の様な気がする・・・』








僕は・・・自分の好みの『その店』の方に飛び込んでみることにした





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