2015.07.21 ハカス共和国首都アバカン市にて





ここは僕の言葉が全然通じない場所・シベリアの町アバカン市。

持ってきたBROMPTONに乗って、見聞を広めるべくプラプラと走っている







●古い住宅街Aへ
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午前中は比較的都市化が進んでいる地区(鉄道アバカン=タイシェト線の北側の地区)を走ったが、

南側の地区にも行ってみる事にする。

午前中、跨線橋の上から眺めた感じでは、南側はより古い住宅地が並んでいる感じ。















(このあたりの標準的な民家)
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土地が豊富だからか、強風が多いからか、多くの戸建て住宅が『平屋』だったアバカンの住宅地。

建物の中心から左右で外装というか雰囲気が違う理由は、

この建物に二世帯住んでいるから・・・という情報を、ハカスを旅した方が書いているサイトで知った。

ロシアでは一般的な事らしい。

いわば、ロシア版の『長屋』か・・・。
















●アバカン駅南口の商店街?
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そういう位置づけかどうか判りませんが、商店が連なっている区画が見えてきた。

















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食品や雑貨の専門店(だと思う)が並んでいる区画だった。

アバカンは見たところ大手資本による『チェーン店』や『ショッピングセンター』がおそらくは出店してないようで、

飲食店も販売店もその他の各種サービス店も『個人経営の専門店』や『小規模店舗』が生活の中心の様。

いずれ、都市や海外の資本が出店してきて変わってゆくのだろうけど、現時点ではなかなか興味深い。















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商店街の正面には建築中の教会が。

十字架を見るに、ロシア正教の建物らしい。

アバカン市民の8割くらいがロシア正教で、2割弱が土着の宗教(シャーマニズム)だったろうか。

シャーマニズムには教会やら寺院やらは無いんでしょうかね。気になる。
















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巨大な水たまりを避けてさらに進むと・・・
















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閑静な住宅地のエリアに入った。

風の音と、鳥のさえずりが響いている。














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家と家の間の路地はこんな感じ。

写真を撮っていると、向こうの方から中学生~高校生くらいのヨーロッパ系の女の子が2人、歩いてきた。

駅に向かう途中らしい。
















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年季が入った家が多い。

年配の人が住んでそうな雰囲気だが、外で草むしりとか花壇の手入れとかしている人を見かけず、

実際のところはどうなのか、よく判らない。















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ブルーの雨戸の家が多いのは、僕がそういう家に多くカメラを向けたからであって、

特段、そういう家が多かったわけではなかったような・・・。













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もう、アバカン駅裏口の駅前ですが、未舗装だった。

アバカン駅(線路北側)とは大きな跨線橋で接続していて、さっきの女の子たちはそれを渡って

町の方に行ったと思われる。













●武器屋?
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アバカン駅南口にあった二つの店舗の1つはコレだった(もう一つは食料品店っぽい)。

武器屋・・・それとも、バックパックやウェアのお店?中古品店という事しか、僕らには判らん。

この英語表記、必要なんだろうか?英語で表記してもこの町の大半の人は判らんだろうし、

逆に英語で表記するなら『何の店』かを明記するべきではないか・・・?

それをやらないのは、とどのつまり、お店の人がロシア語しか判ってないからだと想像がつく。
















●井戸?
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駅前にあった、地面から突き出したパイプ。

『これはなんだろう?』そう思ってると、おじいさんがやってきて、パイプ前にペットボトルやタンクを置いて

水を汲み始めた。













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『おお、井戸かあ・・・』

しかし、ロシアの水道の水は飲めないと『地球の歩き方』に書いてあったんだけど、この水は違うのかしら?

ちょっと興味があって、おじいさんに訊いてみる。

KOU:「この水は飲めるのですか?」

じいさん:「○×√〠※$#&”」

ダメだ、やっぱり英語は通じない。

僕が井戸から出ている水を指さして、『これ飲んで大丈夫?』というニュアンスのジェスチュアをしたところ、

じいさんは、僕がこの水を飲みたがっていると勘違いしたようで、水を入れたばかりのボトルを1本くれた。

『うわ、ひゃっこい!』(冷たい)

その手触りにびっくりする僕を置き去りにして、じいさんは帰っていってしまった。














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『・・・』

ハンバーガーと一緒に買った水がまだあるし、飲めるかどうか訊きたかっただけなんだけど・・・

でも、実際、どんなもんなんだろう?

一瞬、迷ったけれど、ちょっとだけ口に含んで舌の上で転がしてみると・・・




「おいしい!」




『地球の歩き方』には、ロシアの水は硬水で日本人の口には合わない・・・と書いてあったのに、

この水のまろやかさは、もしかして『軟水』なんじゃないかしら?

日本の湧水と変わらないか、あるいはもっとまろやかかも知れない。これはどういう事なんだろう・・・???

そして、この冷たさ。

シベリアの大地の永久凍土を貫いてパイプが通っているという事かしら。

まるで、雪解け水の様な水温。





しかし・・・非加熱で飲んでいい水なのかどうなのかは不明のままで、それ以上は怖くて飲めない。

せっかく頂いたものなので、ホテルのティファールであっためて、お茶飲む時に使う事にします。














●幹線道路近くの貨物駅
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貨物列車からトラックに荷物を積み替える貨物駅っぽい施設があった。

日本の町だったら、フォークリフトやらスタッフさんやらが走り回って大忙しなんだろうけど、

こちらの雰囲気は、やっぱり、のんびりしている。
















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前の写真でトラックが停まっていた建物の反対側はこんな感じ。

コンテナごとクレーンで持ち上げたりだとか、フォークリフト使える様な構造には見えないね・・・。

まさか、人力で貨車から荷物、積み降ろしするのかしら















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アバカン駅と反対方向に延びる線路はこんな感じで閉め切られているが、使う時は使えそうな雰囲気。

列車が走る時は、線路にクルマが入らない様に仕切っているバーが道路をふさぐ遮断機になるのかしら。

ちなみに、間にある道路は、トラックや乗用車の交通量がものすごく多くて、チャリで走るのはかなり危険。
















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ロシアの鉄道の線路幅は1,520mmだそうで、JR在来線等の1,067mmより50センチほど幅が広い。

BROMPTONがすっぽり間に入ってしまうくらいのサイズ。

でかい。














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再開発の予定でもあるのか、広い更地があった。

かつては、こちらは留置線だったのかしら?














●東欧版コンボイ?
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さきほどの、閉鎖されていた踏切の反対側の貨物駅(多分)に停まっていた、超大型のトレーラー。

普通乗用車10台分くらいの車長かしら。このサイズだと、日本ではなかなか走るの難しそう。















●共和国民の生命線・自動車修理工場
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街なかいたるところでクルマのエンコを見かけた。

日本以外の国では車検が無いそうだが、セルフチェックとメンテナンスがとても大事そう。

荒野でエンコなんて、雰囲気ぶち壊しどころか、容易に命のあらゆる危険につながり。
















●古い住宅街Bへ
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幹線道路があまりに危ないので、再び住宅街に入った。

しかし、本当に、出歩いている人がいない国だなあ・・・














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ボロボロの板塀なども散見されるが、それでも、人が住んでる場合は一生懸命手入れしてる感じ。

『ゴミ屋敷』だとか『スラム』の様な場所は、見当たらない。














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家の前にある大きなボックスは、おそらくは『ゴミ箱』。

各家庭はゴミをここに出して、回収車がそれを持ってくんじゃないかと思う。

ハコが大きくて頑丈そうなのは、野生動物に荒らされない様にする為じゃないかなあ。

















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民家の前の道路で、男の子たちが自転車で遊んでいた。

旅行者っぽい東洋人とBROMPTONに興味を持ったようで、しばらく「わーっ」と追っかけてきた笑
















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僕のBROMPTONのコバルトブルーと同じ色の屋根瓦。

今、僕が住んでいる愛知県地方も同じ様な色の屋根瓦が特産品だったりする。














●遠景・アバカンの丘
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線路の北側に戻るべく跨線橋を渡っていると、先日訪問したアバカンの丘が見えた。

今日は、先日よりも風はおだやかだったでしょうか。













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跨線橋上から駅方面を見る。

・・・こっち側の橋からは何も見えないな・・・笑












●再び、線路北側の町へ
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夕方になってきた。

もう少し、町をプラプラしたらホテルに帰ろうと思う。














●マーケット2
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町の中をグルグル走り回っているうちに、また、テントがたくさん建ち並んでいる区画に入ってきた。

どうも、フリーマーケットっぽいところです。













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わー、いろいろな機械部品を販売しているマーケットっぽいぞ。

古道具を分解して、パーツを取り出して販売しているのかしら?

僕はパシャパシャと写真を撮りながら、マーケットに入って行く。

右側のじいさんがずっとこっちを見ているのに気付きません。

















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商売の傍ら、チェスに興じている人も。

いいなあ、こういうおおらかな雰囲気。大好きだ・・・

そんな事を思いながら歩いていると













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こちらをずーっと見ていた右のおじさんに呼び止められた。

何か大声で言ってきているが、何の意味かさっぱり判らない。

しかし、ここまでの僕の行動から想像してみると・・・



おじさん:「おい、お前!誰に断って写真撮ってるんだ!?」(想像)

KOU:「???」

おじさん:「お前だよお前。変な自転車持ってるお前だ。おい、俺やそこの奴に許可とって写してんのか?

     あ?何とか言ってみろ、この野郎」(想像)

KOU:「???」

おじさん:「お前、この国の言葉もしゃべれないくせにノコノコ入ってきたのか。

     おもしれえ。おいらがこの国の礼儀ってもんを教えてやるよ。表に出やがれ、この東洋人野郎!」(想像)






はわわ・・・

えらい事になってしまった。

とりあえず、謝らんと。







KOU:「勝手に写してごめんなさい。ロシア語が判らないので、英語で話してもらえませんか?」

おじさん:「何言ってんのか判んねえよ!俺たちの言葉で話しやがれ、この東洋人野郎!」(想像)

KOU:「あるいは、日本語しゃべれないですか?」

おじさん:「言葉が通じないのなら、おいらのこぶしで判らせてやるぜ」(想像)







わー、困った。どうしよう・・・と思っていたら、背後から

おじいさん:「君は・・・日本から来たのかね?」


振り返ると、チェスを打ってた白いシャツのおじいさんが声をかけてきた。

おじいさん:「たしか『日本人』とか聞こえたが・・・」

うおお、何、この超展開。

言葉が全く通じない町の中で、チェスを打ってた老人が英語話者だったなんて!

僕慌てて、自分が日本から来た旅行者である事と、

怒ってるっぽいおじさんに無断撮影の非礼を反省している事を伝えてほしいとお願いしてみる。

おじいさん:「ふぉっふぉっふぉ。別にあいつは怒っとりゃあせん。

   ただ、なんか変わったヤツがやって来たのに興味を持っていただけだよ。

   あと、君の変わった自転車にもな」

おじいさんがおじさんに何か言うと、おじさんは大笑いして、店番に戻りました。

『助かった・・・』

おじいさん:「それにしても、日本人がわざわざこんな田舎まで何しに来たんだ。観光か?仕事か?」

KOU:「・・・」

何て答えようか迷ったが、僕は英語のボキャブラリーも少なくて気の利いた話も出来ないので、

ストレートに旅の目的を伝える事にした。

KOU:「WW2の後、僕のじいさんがこの国で死んだんです。僕は、そのお墓参りに来ました。

   今まで親族が誰も来れていなかったので、70年目に、孫の僕が」

おじいさんはちょっと驚いた様な表情になりました。

おじいさん:「君のおじいさんはどこで亡くなったか、君は知っているのかね?」

KOU:「チェルノゴルスクです。昨日、行ってきました」

おじいさん:「ううむ・・・」

彼は遠くを見つめる様な表情をしたあと、目を閉じて何か考えている様でしたが、やがてゆっくり語り出しました。

おじいさん:「私たちと君のおじいさんの間に起こった出来事は、本当に不幸な出来事だった。

   君のおじいさんを、とても気の毒に、申し訳なく思うよ。

   そして、70年経て君がこうやってこの地におじいさんを慰霊に来る事は、とても尊い行為だ。

   素晴らしい行動だと私は思う」

KOU:「・・・ありがとう」

おじいさん:「君は、この国の人々を恨んでいるかね?」

KOU:「え?」

一瞬、戸惑った後、何を問われているのか理解した。

亡くなるまでソ連を憎んでいたばあちゃんの事、自分もその影響を受けて育ってきた事を思い出す。

しかし、今現在の自分の気持ちとしては・・・



祖父や祖母を可哀相だったと思うけれど、誰かを本気で恨めるほど僕は昔の真実を知らない。

そして、おそらく、過去の誰かを恨み続けなければならない程の真実を僕が知る事は無いだろう。

一方で、この町に来た僕は、この土地の人と言葉が通じなくて細かい考え方はよく判らないけれど、

とても親切な人が多いと実感した。

写真のモデルになってくれたり、クルマを停めて横断歩道渡らせてくれたり、歴史を丁寧に教えてくれたり、

井戸で汲んだ水をくれたり、貴方も僕が会話で困っている時に助け舟だしてくれたし・・・




・・・そんな事を、英語をそれほど話せるワケではない僕が表現するのは結構時間がかかったが、

おじいさんはとても我慢強く僕の話を聞いていてくれた。

おじいさん:「そうか、色々コミュニケーションとったんだな。

  君たちの様な若い人たち同士の顔を突き合わしたコミュニケーションがこれからの時代には必要なんだ。

  『国』同士ではなくて、『人々』同士のリアルなコミュニケーションがな。私は、そう思う。

  もし、この町にいる間困った事があったら、私に声をかけてくれ。何でも力になるよ」

70代くらいだったと思うけど、もしかすると80代だったのかな。

当地の戦後の様子を記憶している世代だったかも知れない。と、いうか、昔を思い出している感じだった。

英語を話せない人だらけの町で、あの年齢で英語が達者だという事も、なんか気にかかる。

でも、訊けなかった。

昔を思い出しているであろう時の彼は、明らかに辛そうな表情をしていたから・・・。




ともあれ、一時はどうなる事かと思ったけど、結果としてとても有意義なコミュニケーションがとれた
















●ホテルに帰ろう
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ワンコが気持ちよさそうに寝息を立てている脇を走り去っていく。

時刻は18時前。

まだまだ明るいが、さすがに疲れた。












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後で地図を見たら、僕が走ったエリアはせいぜいホテルから2~3km圏内。

言葉が全く通じない国で、確信的に安心して走れる範囲というのはせいぜいこの程度かも。

歩いたり、ジョギングしたりでも同じじゃん!・・・みたいなトコロはあるかも知れない。

でも、記事では端折ったけれど、あちこちでチャリに興味を持った人がチラチラ見にきたり、

その前で折畳みを実演してみたり・・・なんていうエピソードもあって、なかなか楽しいポタリングだった。
















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道はボコボコ、水たまりの中に入って凹みにハマって転倒しなかったもののくるぶしまでびしょびしょになって

周りの人に笑われたりとかもあったけど、楽しかったな。

海外で自前のチャリに乗るのは、自分で自転車をばらしたり、パンク修理なんかもチャッチャカ出来る人だけかと

思っていたけれど、本格的な都市間走行とかで無く、街周辺のサイクリングであれば、

僕みたいなヘッポコポタリストでも簡単に実現出来る事が判った。

ノンパンクタイヤを装着すれば、ガラスの破片や釘がどこに落ちていてもおかしくない様なこういう町でも

安心して遠出出来ると思うし、最低限、そこまでやっていれば、海外ポタリングはもっと楽しめそう。

あとは『言語』かなあ。

ワンダーテレホン(G翻訳)アプリが使える、使えないに関わらず、現地の公用語は少しくらいしゃべれるように

しておくべきだったなあと、反省。それが、その土地への最低限の礼儀と思った。




(以上、ポタリングの項 おしまい)