●近江国「オキシマ」(*v.v)。。
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それは、日本では唯一、世界でも極めて珍しい湖上の有人島ッ!

さらに、学校があるのは世界でもここだけというッ!!

珍しいッ、行ってみたいッ!!!



もしかして、BROMPTONで「オキシマ」を探検した者はまだいないかも。

そこで、2021年僕はこの島への渡航を試みた。

しかし・・・!




●1回目(2021年7月某日)・・・失敗!
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記念すべき「ブロンプトン旅」の俺さんとのコラボ旅。

しかし、渡し船に乗り遅れて失敗・・・ッ!

(→当該記事






●2回目 2021年8月29日(日)・・・失敗!
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1か月後、捲土重来を目指してやってきた。

しかし、渡し守に阻まれて渡航できず失敗・・・ッ!

(→当該記事


結局、2021年中に探検する事はかなわなかった。

よし、三度目の正直だ(*v.v)。。

2022年のポタ旅は、昨年の宿題の後片付けから始めよう。

オキシマクエスト3部作の完結、なるか・・・!?






















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●2022年4月9日(土)07:37
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晴れておだやかな1日になりそうな朝

2022年、最初のポタ旅はとにかくコンパクトにいく。

この前購入した小さなフロントバッグを携えて、レッツゴー






●正直、気分はさほどアガっていない
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実は、例年、初っ端のポタ旅は「とにかくおっくう」

しかも、今年は、去年(あるいは一昨年秋)からの色々な出来事による累積的な心的ダメージを明らかに引っ張っている。








●去年の3月だったか、物忘れが酷くなって受診して「鬱」と診断を受けていた
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その時は「若年性アルツじゃなかった」と思ってかなり喜んだものだった(本気で嬉しかった)。

僕は、17~18年前に鬱で動けなくなって実家に里帰りしていた時期があって「鬱の問題は自身で考えたり行動する事が出来なくなること(ぼーっとして過ごすしか出来なくなること)」と捉えていた。

だから、「あの状態にさえならなければどうでもいい」と思っていたのだ。

よって、気力を振り絞り「普段通りの生活をしてきた」。

今までそうだった様に、それだけで乗り越えられるハズだったから(実際、乗り越えた)。




ただ、やっぱり色々な事に拒否反応が出るのは感じていたし、「物忘れ」の頻度も尋常じゃなかった。

この度、300万円少々損する事になったのも、結局は物忘れ・判断力の低下によって失敗してしまった事に他ならない

結局、注意力・判断力欠如という色々なリスク予防が機能していない状態で複雑な現代社会生活の最前線にい続けるという事は、ビジネス・プライベート関係なく「非常に危険な状態に身を置いていること」なのだろう。

「動けなくなる状態を回避できればいい(´ε`)~♪」ではなかった。

「動けなくなる状態」とは、おそらくは「むしろ自ら動かなく(動けなく)なることで様々なリスクを回避している自然的な防御状態」。

その状況を気力で強引にねじ伏せて、「リスク回避機能が著しく低下した状態で無理矢理稼働する事によって引き起こされる事象は想像が着く」というもの。危険を伴うのだ。

ここでいう危険とは、鬱という言葉から連想されがちな「自殺願望」(←僕には全く無い)や、ボーッとして動けなくなる「無気力症状」など以外の危険。

「実害」と言える類の危険。

特に、多忙✕責任ある立場の者にあっては、この危険は大きくなる。

記憶力・判断力が欠如した平常を装って生活するなど「立場上、決してしてはいけない」ハズなのだ。

だから「寝込む」んだろう。とても理に適った正しい判断だと思う。






●2~3月、色々な事が段々と片付いて、徐々に思考回路に血が回り始めた様に感じた日々
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「色々紙一重だったが、まあよかった」と思ってたところに300万円の出費が落っこちてきて・・・








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・・・と思ったものの









●「どっちが良かった?」と自問しても、正解など判らん
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仮に1年前、①「鬱の治療の為に一線を退く(ただし、やりたいと思ってた事が色々出来なくなってしまう)選択」と②「強引にねじ伏せて退かない(ただし、途中で斃れるかも知れない)選択」が、より整理された状態で自分の前に示されたとしても、正解などはなく、ただ「選択」があるだけ。

組織的正義論ならリスク回避一択で①だろう。

でも、「今まで積み重ねてきたこと」「これからやっていきたいこと」があるからなあ。会社の枠を超えて。








●結果的には「これでよかった」と思う自分がいる

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( ↑ 結局、懲りてない)

まあ、結果的に大事故起こさなかったし、あらゆることを自分の責任範疇で全て解決して、前進も出来たしね。

結果オーライという事で。









(笹島の新都心を通過)
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とはいえ、全く予定していなかった出費が300万超降りかかってきたのはさすがに痛い

当面の間、旅やグッズ購入にかける費用を削減したケチケチスタイルでいこうと思う。

例えば、今回の旅の投宿先も6,000円~のビジホではなく、4,500円のビジネス旅館(しかも朝食付!)だ!







(向野橋を通過)
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ちなみに、僕の精神衛生上の基準点は下記の2つと考えている。

①部屋について、いつ誰が来ても通せる程度に整理しておくこと【最低限度】

②好奇心をもって見聞を広める行動を常にしていること【出来れば満たしたい基準】



僕もいい歳だし、名古屋に来て13年、さすがに①を維持できなくなった事は無い(多分)だが、②については、心に余裕が無い時には満たせない事もある。

その点、「オキシマ」は、自分の心に刺激を与える目的地として、実にいい。

移動にカネがかからないキョリにあるのも、今の僕の財布にはありがたい。








●・・・そんな事を考えながら、ノタノタとペダルを漕ぐ
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オキシマは好奇心を刺激してくれる目的地だが、5カ月ぶりの旅ポタでの峠越えを想像すると「萎える」

それは、シーズンオフの期間も頻繁にジムでサイクリングマシーンを漕いでいても、だ。

そこで、今回は「国道1号線」で滋賀に入る③(鈴鹿峠)ルートで近江国入りする事にした。

ここは、800~900m級である①(五僧峠)や②(武平峠)と違って357mしかないそうだ

しかも、鈴鹿峠の手前には東海道の宿場として有名な「関宿(セキジュク)」があるという。

『ちょっと遠回りにはなるが、旅ポタ再開にはもってこいのルートだ!』

名古屋を抜けてすぐ国道23号線という大動脈に出て、全く面白味の無い道をひたすら西進







●出発して2時間で木曽川に差し掛かる
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自宅からのキョリは23km。

広いスペースがあるここで、朝ご飯休憩にしよう。








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いつもの様におむすびを作ってきている。

正直、コンビニで買ったほうが安くて時間効率もいいんだが、こういう一手間で「旅感UP」するからなあ(´ε`)~♪








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対岸の海側に長島スパーランドが見える。

ここは、夜、湾岸を走る高速道路(伊勢湾岸道)から眺めると見下ろすとかなりキレイな場所だ。

伊勢湾岸道、「自転車走れる側道があればなあ」と思う自転車ファンも多いだろう。

僕もその1人だ。









●その1時間後、四日市市内に到達
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なんか味のある景色

ここは、四日市の昔の湊があった場所らしい。

古びた静かな町が広がっていて、なかなかいい雰囲気。








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まあ、基本的にはコンビナートの景色が多い街ではある







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三重県内で、県庁所在地の津市の倍以上栄えている街だけあって、かなりの都会。

ってか、名古屋からここまで、国道23号~国道1号といった大街道を走り続ける景色は、さっぱり面白くない

そういや、「ブロンプトン旅」の俺さんもそんな事書いてたっけな・・・。








●四日市を過ぎると、ようやく少しずつ景色が変わってくる
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ようやく道や景色に変化が出てきた







●道沿いに変なオブジェクトも
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かなり遠くから見えたこのオブジェクト。

「スクラップ工場」が、本物の小型旅客機を看板代わりに掲示しているらしい。







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道なりに進むと、前方に回り込む事が出来る。

かなり古い機体みたいだが、往時、これを操縦していた人たちの姿がぼおっと見えた様な気がした。

「ああ、海外旅に飛びたい><。」






●13:03、関宿に到着
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華吹雪が舞い散り、とてもいい雰囲気

自宅からのキョリは約66km。





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日本の江戸時代における東海道の宿場であり、旧伊勢国(現在の三重県亀山市関町)にある。

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、往時の街並みが保たれているらしいぞ






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ここは古代からの交通の要衝で、壬申の乱(672年)の頃には古代三関の一つ「伊勢鈴鹿関」が置かれた。

江戸時代も、東の追分(オイワケ・・・道の分岐点)からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐する宿場町として、とても活気があったという。

その東の追分から西の追分までの約1.8キロメートルにわたり、伝統的な町家が200棟以上現存するんだって

僕が好きな中山道の宿場とはけた違いの規模だね。知らなかった





●旅籠玉屋資料館(ハタゴタマヤシリョウカン)
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昔、「関で泊まるなら玉屋か鶴屋」と言われた由緒ある旅籠。

「関まちなみ資料館」とセット500円の共通券で見学できる。

ちょっと寄っていこう





●おお、広い
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女将さん:「昔は1晩200名泊まったといいますのよ、オホホ。ゆっくりご見学遊ばせ」

へえ、そりゃ凄い

まずは、土間や庭を見ていこう。






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・・・なんか、いいなあ





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一日歩いて、疲れた状態で投宿して、ほっと一息








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宿屋を訪れた旅人や、働いていた人たちの息遣いとしゃべり声が聞こえてくるかのよう






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こちらの蔵の中には安藤広重直筆の浮世絵「東海道五十三次」が掲示されていた(撮影禁止)。

この旅館と思しき往時の絵も飾られて、とても味わい深い

当時の旅籠の様子のイメージを膨らませたところで、客室の方に入ってみよう。






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番頭さんらしき爺さん






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自転車で移動してきてそれなりに疲れているので、当時と同じ旅をしている気分になってくる






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隣の部屋には東海道五十三次各宿場の賑やかな様子・見どころが描かれた屏風があって、とても面白い。

当時、旅をした人は、移動は大変だったろうけど、各地で見聞を広められて、本当に愉しかったんじゃないかなあと思う






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坪庭






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広いといえば本当に広いのだが・・・

この建物に200人詰め込むのって、相当だぞ。

廊下にも布団敷いたってことかな???






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2Fにはお食事時の様子の再現。








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・・・ふと、時代劇の悪代官の宴を見たくなってくる oO







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いいなー、こういう宿屋泊まってみたい!

旅籠は江戸時代においては一般人向けの「高級な宿泊施設」であって、その伝統を継承したのは歴史的にもサービス的にも「和風旅館」といえる。

なるほど、確かに共通するところはある。

ただ、往時と同じような町家の建物で、似たようなサービス提供してくれると嬉しい。

今、懐キビシイから、若干、お手柔らかなお値段で・・・

なお、旅籠の案内板に書いてあったが、江戸時代という事もあって虱(シラミ)の噛害は当時の旅人の悩みの種だったみたい。

道中で特定の種類の野草(ハーブ)を摘み取ってきて、就寝する前にすりつぶしてカラダに塗り付けたり、布団の周囲にまぶすなどして虱の害を予防する指南書などを、旅人たちは盛んに利用していたそうだ。

「僕も労力のかかるヘンテコな旅をしているが、往時の旅人に比べれば天国の様な快適度である事は間違いない(*v.v)。。」

そんな事を感謝しつつ、宿を出る。








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関宿には他にも見学できる施設や、小じゃれたcafe、昔ながらの桶屋さんなどもあって、見どころはかなり多い。

宿場好きな人なら、半日は過ごせるだろう。

しかし、今日の僕は先を急ぐ旅人(*v.v)。。

鈴鹿峠越え~夕刻までの宿到着を目指し、関宿を出発する。





(つづく)



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