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中篇:寝覚の床~三留野宿







●寝覚の床美術公園(ネザメノトコビジュツコウエン)
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『美術公園』ってのが何なのかイマイチ判らないが、案内看板を見てみると、結構広いみたい。

寄ってくかどうか迷うなあと思いながら、説明書きを読み進める・・・。

ん・・・?




●あっ
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9月ロマン探求ポタ前半(中東旅)のテーマ曲に設定した『時の旅人』。

僕はかの地で『時の旅人』になるのだ(*v.v)。。

このCDは24年前に持ってたが、10年前、名古屋に引っ越してくる時に処分してしまっていた。

mora等でDL販売されていなくて、この前、Amazonで中古シングルを購入した。1300円だったかな。





●よし、この公園で『時の旅人』の予行練習をしていこう
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公園のエントランスにあった吊り橋の様な建築物。

上の道路から見下ろして機械の様に見えたのは、このオブジェ(?)だったようだ。






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コンクリの階段は傷み、ところどころ崩壊している。

この公園は平成5年(1993)建設だそうなので、『時の旅人』(1994)のリリース前に出来上がったんだな。

なるほど、看板の意図と別の意味で時の流れを感じる・・・。






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殺風景な佇まい、ひと気のない空間、ボロボロの構造物、どう進めばいいのかイマイチ判らない。

『順路はどこだ・・・?』





●あ、森の中に直接入るのか
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『順路』が自然環境と見分けがつかなくなりかけていて、気づかなかった。






●おや?
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さっき、国道で通り過ぎた『寝覚の床(ネザメノトコ)』に立ち寄れる他、『裏寝覚(ウラネザメ)』なんてのもあるらしい。





●『裏(ウラ)』という響きに興味を覚えながらも、まずは『表(オモテ)』の方に行ってみよう
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里山的な雑木林に沢も流れていたりして、なかなか気持ちいい







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しばらく進むと、清水の舞台みたいなのが見えてきた






●少し先に『寝覚の床(ネザメノトコ)』が見えるぞ
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おお~、思ったよりずっとすごい

木曽川の中に高さ10~20mくらいある巨岩がゴロゴロと転がっている。






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お堂が建っている巨岩もあり、巨岩をよじ登って遊んでいる若い男女や子供たちの姿が目に付く。

ここは浦島太郎伝説ゆかりの場所で、竜宮城から玉手箱を持ち帰った浦島太郎が暮らした場所だそうだ。

沢庵和尚の木曽路紀行に記述があったり、近所のお寺の縁起書にそんな記載があったりするという。

正確な記録の乏しかった時代の伝え話など『出口の無い迷路』みたいなモノだが、それもまた いと をかし。





●むしろ、『正確な記録に満ち溢れた時代』の出口の無い迷路の方が厄介だ
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『時の広場』(トキノヒロバ)。

これが、なにを意味するのか全く判らない

ちょっと降りて、調べてみよう。





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降りて見ても、よく判らない。

時にヒトは、他人には全く判らないモノを作ってしまう事があり、『芸術』と呼ばれたり『珍スポ』と呼ばれたりする。

・・・とはいえ、このオブジェには常人にも理解できる『意図』が見え隠れする様に思うのだが、答えが出ない。

まあ、いいや。裏寝覚(ウラネザメ)に行ってみよう。




●なにィ
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しゃあない、出るか。

『時の広場』の意味はよく判らなかったが、なかなか素敵な公園だったと思う





●そう思って、帰り際に看板をもう一度見ると・・・
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『時の広場』の説明がちゃんとあった。前段の『時の旅人』で舞い上がり、読まずに進んでしまったのだ。

あれは日時計だったらしい

今、曇り空で日時計の針が表示されなかったが、晴れていればスグにその意図は気づけた事だろう。

ってか、見れなくて、ちょっと残念だ。






●さて、道をどんどん下っていこう
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小野の滝に立ち寄るのは、もう4回目くらいかな。

このあたりは、もう、4~5回は走っていると思う。





●ところどころに往時の面影を漂わす集落もある
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曇り空で湿度は上昇中だが、下り基調の道なので、とてもラクで気持ちいい







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旅人たちも休憩したであろう一里塚。

中山道時代は文字通り『塚』があって松などが植えられていた筈だから、ビミョーに場所は変わっているかもだ。







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このあたりは、ラクで、とても気持ちいい道が延々と続く






●とはいえ、多少は汗もかくし、給水はマメに行いたい
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夏の間、僕は基本的にボトルを2本携行している。

スタート地点近くのコンビニ等で、同じ製品の通常ボトルと凍結ボトルを購入。

まず、通常ボトルをサーモバッグに入れて飲む様にする。

すると、それを飲みきる頃には凍結ボトルの中身も少し溶けている。

コンビニに立ち寄り、飲みきったボトルを棄てて少し溶解した凍結ボトルをサーモバッグに入れる。

また、同じ・または類似製品の通常ボトルを購入し、バッグに入れておく。

道中、凍結ボトルの溶解液を飲んだら、その時点で通常ボトルの中身をサーモバッグの凍結ボトルに補充。

・・・後はボトルの溶解液を飲みきる度に通常ボトルを購入してこの過程を繰り返す。

これによって、常にキンキンに冷えた飲料を、氷などで薄める事なく、給水し続けられる

僕の経験上、サーモバッグに入れる事によって凍結ボトルの氷は気温33℃前後であれば概ね6~7時間、

気温40℃近い熱波環境でも4時間くらいは保ってくれて、それがあるか無いかで快適さはだいぶ違うと思う。







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サーモバッグは工夫して車体に直接取り付けられる様にするとラクだ。

僕は、マジックテープとフックの併用で、見苦しくなくかつストレスフリーで車体に固定出来る様にしている。





●トロトロ走っているうちに須原宿までやってきた~♪
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まだ観光地化されていないながらも、古い建物が良く残る宿場町だ

宿場町にしては道幅が広いのだが、これは拡幅されたのではなく、昔からそうなのだそうだ。





●水舟が目をひく
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各民家の軒先にある水舟は、豊富な湧き水がもたらしたこの宿場独特の光景だ

昔は、一番上が飲料や炊事用、二段目が洗い物用、三段目は掃除や防火用水などと使い分けていたのだろう。

ただし、竹筒は残念ながら樹脂製だ。






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正岡子規の歌碑がある。

今回、木曽福島出発ではなく塩尻出発にして、須原宿に投宿すれば、子規の歌の様な風情を味わえたかな?

もっとも、現代のこの宿場に宿泊できる場所はないかも知れない。

そんな事を思っていたら・・・






●おお!『三都講』の看板が
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『三都講』は、カンタンに言えば江戸時代の『マジメな旅館組合』の一種だ。

江戸も後期になると、町人の旅行が盛んに行われる様になったのだが、

それに伴い、宿場町の宿における遊女やら賭場やらのサービスが盛んに行われる様になり、

風紀がどんどん乱れ、まともな旅人には安心して宿泊しがたい状況になっていった。

僕もハカス共和国で部屋まで売春婦に押しかけられて怖いと思ったが、昔の旅人も同じだったろう。

そこで、各地の宿場町のマジメな宿の経営者たちが組合(講)に参加し、

旅人が安心して泊まれるサービス提供を保証するという事を行ったのだった。

この看板は、この建物がかつて旅籠であり、その主はマジメな人で講の一員であった事を意味する

前もここで写真撮ったんだけど、気づかなかったなあ。

こういうトコに泊まってみたいが、残念ながら、今は旅籠はやっていないようだ。







●前回、立ち寄れなかった『定勝寺』にも立ち寄ってみよう
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ここも何回か通りかかっていたが、先を急いで立ち寄っていなかった場所。

山門前に漂う風情が気になっていた。






●おお
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しっとりとした雰囲気。

後で調べてみると、ここは臨済宗のお寺で、木曽の有名なお寺の三指のひとつだそうだ。

さきほどくぐった山門と、本堂、それに庫裏が国指定の重要文化財だった。

日本最古の『そば』に関する書物は、このお寺で発見されたという。





●庫裏をちょっと覗かせてもらおう
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ああ、素晴らしい空間。

反対側から吹き抜けてくる涼しい風に、ほのかに漂うお香のかほりに癒される(*v.v)。。

現代日本も、残り少ない森を切り拓いてコンクリ建物や太陽光パネルみたいなのばっか造るのやめて、

木材を利用しつつ国土を緑化して、こういう建物も少しずつ増やしていけばいいのになあと思う。







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高い天井。

熱効率は良くなさそうだが、こんな家に住めるならば、そんな事どうでもいい様に思う。

冬、震えながら火鉢にあたり、布団にくるまる生活でも全然かまわない。






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お庭も素敵だ

やっぱり、須原宿いいなあ。隠しきれない見どころがそこら中に転がっているぞ。






●さて、須原宿から先の道だが・・・
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前回の木曽路ポタでは古の中山道に近いAを行ったので、今回は現代国道沿いのBを行こう。






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実は、僕がたまにキャンプしに来る越百川(コスモガワ)がこの近くにあり、度々クルマでも走っている道だ。







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道は、時々少しの登りがあるも、基本的には下り基調なので相変わらずラク

・・・と





●「こんちは」と声をかけて、大荷物のおじさんが僕を追い越していった
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子供の頃に本で見た、絵に描いたような『自転車旅』。荷物の多くは衣類とキャンプ道具かな。

自分の脚力であちこちを走り抜ける人なら、軽量化の意味であのやり方は合理的だろう。

一方、僕のキャンプ旅は公共交通頼みの為、見苦しく無い様、道具類はTravoyに入れ『シュッ』として運ぶ。







●道の駅大桑でちょっと休憩
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フツーのソフトクリームより80円高い『ロイヤル』を注文してみたら、キャラメル味のソフトクリームだった。

とても美味しく、体力が回復する感じ





●さて、その先の三留野宿(ミドノシュク)の桃介橋(モモスケバシ)も潜り抜けて・・・
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下り基調の道をたった35kmしか走っておらず、体力は消費していない感覚。

時刻は17:00。日没まで2時間あるが、着地点は決めておこう。

まず、この疲労度で最寄りの南木曽駅から輪行の選択は、いかにへタレの僕でも『無い』。

思いつく選択肢としては

A.馬籠峠を越えて中津川駅をめざす

B.賤母道路を進んで中津川駅をめざす

C.賤母道路を進むが、途中で道を抜けて田立駅から帰る

全ての選択肢について、一度は走っている。

ただし、Cはここから下り基調のまませいぜい5kmで、無意味に等しい。

『さて、どうする?』と思いながら、あっという間に分岐点・・・。







●『よくよく考えれば、どちらも行きたくない』という本音に気づく
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馬籠峠(A)は、以前、ヘロヘロになってBROMPTONを押し登りし、『二度とやらない』と心に誓った。

賤母道路(B)もキツイ登りに加え交通量が多い道をBROMPTONを押し登りし、『二度とやらない』と思った。

・・・バカか、僕は

強いて言えば、Aの道なら辛くなった時に妻籠や馬籠の宿場で投宿出来る可能性があり、

Bの道なら、『やっぱり嫌だ』となった時、田立駅に逃げて電車で帰れる可能性がある。

さて、どちらに進もうか?




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つづく