突然、『夏休みを自由にずらして取れるようになった』






世の中の広告会社の多くは、おそらく、会社全体でまとまってとるなんて事はないだろう。

我が社は長年、マンパワーによる営業=『労働集約型の仕事』をする為、何でもかんでも『ひとまとめ』だったが

ここ2年で業務改革が進んで、『一度に社員が休む方が業務効率は悪い』という判断になったようだ。

制度が変わってくれたのは有り難いのだが、それにしても、夏休み2か月前の時点で告知とは、また急だな。。。
















『・・・・・・・・・(*v.v)。。』

休みを自由にずらせるならば・・・



















●訪ねてみたい街がある

中国東北部の『哈爾浜(ハルビン)市』。

そこは旧満州国の都市で、70年ちょっと前、僕のじいさんとばあさんが暮らし、父親が生まれた町だ。

2年前、祖父の死没地である中央アジアのハカス共和国を旅する時に色々情報集めをしていて、

去年行こうと思っていたのだが、親の旅行を優先した為に行けてなかった。



















●この町に、かつて大日本帝国農林省が建てた『勧農模範場』という研究施設跡が現存している
イメージ 2

山口大学農学部 山本晴彦氏 資料 35ページより


じいさんはここで満州の気候や土壌に合わせた作物の研究などをしていたらしい。

霞が関の農水省に問い合わせすれば、詳しい資料を取り寄せたりする事が出来るかも知れない。

もしかしたら、住んでいた官舎の住所などの記録もあるかも知れないし。

そして、BROMPTONを転がして探訪してみたいと思う。

もっとも、街はロシアっぽいようで、大日本帝国時代の面影を辿るのは難しそう。

写真で見る限り、中心部で70年前の街角がそのまま残っているというのはなさそうに見えるね。




















●考えられるルートは2タイプかしら
イメージ 1

現在、日本の諸都市と哈爾浜市の直行便は存在しないらしい。

ただ、僕はどっちにしても、哈爾浜市に空路で入るつもりはなかった。

おそらく、じいさんは大連から満鉄(満州鉄道)で現地に行ったと思うので、僕も鉄道で移動してみたいと思う。

大連~哈爾浜間は900km。時速300kmで走る高速鉄道で結ばれていて3~4時間程度で移動出来るらしいが、

もし、時間が許すようならば、高架の高速鉄道ではなく、満鉄同様の目線の在来線で移動してみたいものだ。



多分、哈爾浜に着いたところで、僕が訪ね歩ける場所など限られていて、そんなに見る場所もなかろう。

哈爾浜市の滞在時間は1泊2日もあれば十分と思う。

帰路は、盛岡の実家に立ち寄るか、名古屋に直接帰るかでルートが全く異なる。

まあ、旧勧農模範場や、じいちゃん夫妻が暮らした街角などを訪ねる事が出来たなら、

その息子である僕の父親に土産話を届けるのもいいと思う(彼も生まれてから4歳まで暮らした土地だ)。

時間の都合などで実家に立ち寄るのが難しい様なら、上海経由で名古屋に帰る事になる。

久々の上海、外灘でポタとしゃれこむのも悪くないかも知れない。









仕事その他のもろもろの予定を考慮すると、行けるのは10月になるだろう。

その時期、稚内と同緯度の哈爾浜は結構寒いかも知れない。

でもまあ、ひとつ楽しみができた

本当に個人的な感覚だが、こういうMISSIONがあると、いつものポタ旅より『出かけ甲斐』を感じる。





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