●長閑な田園風景の中の看板が気になる・・・
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『義仲館・・・』

木曽義仲関連のミュージアムっぽい。

現時点でまったく関心が無い人物だが、これも何かの縁・・・(*v.v)。。

立ち寄ってみるか・・・。




















●橋を渡ると、すぐあった
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鎌倉時代は立派な城郭などは無く、軍閥の拠点は『居館』だったっていったっけ。。。

そして、正面に見える像は・・・




















●やっぱり、この2人
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『僕が義仲の立場だったら・・・(*v.v)。。』

・・・巴御前より武蔵坊弁慶みたいな『何があっても確実に守ってくれそうな化け物』を傍に置きたい。

が、よくよく考えてみると、弁慶を連れていた義経も結局は平泉で自害に追い込まれている。

侍従の1名が弁慶だとか巴だとかという程度では、運命は大差ないのかも知れない。

どうせ長く生きられないなら、弁慶よりも巴と旅をしているほうが、なんぼか楽しいかも知れない(*v.v)。。




















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その2:『宮ノ越宿→福島宿に向かう』篇
























●建物の中に入ると・・・
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またこの2人か

どこまでが史実で、どこからが創作なのか全く分からないもんだな。。。




















●ただ、木曽義仲も巴御前も郷土の英雄なのはよく判る(*v.v)。。
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フロアには義仲が辿った転戦の途が大きな絵画で再現されていた。

『倶利伽羅峠の戦い』の絵は、義仲が琵琶湖沿岸の倶利伽羅峠で平家を撃破した時の模様。

牛に松明を背負わせて敵に突入させて、驚かせて追いつめて、谷底に追い落としたのだとか。

そして・・・



















●義仲、最後の模様
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義仲は近江国粟津(現在の大津市粟津)で最期を迎えている。

なんと、琵琶湖のすぐそばで亡くなっていたんだね。

左下の騎馬武者が義仲のようだ。池にハマっているところを討たれたらしい・・・

お、木製のプレートに、墨で書かれた達筆の案内板が・・・





















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達筆で、ちょっと読みにくかったので、原文のママ書き起こしてみた。

・・・郷土の英雄への情感あふれる案内文が、僕の心を射ぬいたのである(*v.v)。。




















●資料館の100m先に、菩提寺である徳音寺
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この古い山門は、村の文化財に指定されているようだ。

今日は朱印帳も忘れずに持ってきているし、ちゃんともらっていこう。。。




















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なんだとう

「またのお越しを」なんて書いてるけど、なかなか来れないぞ、こんなとこ




















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お寺の敷地には、義仲の墓が。

急な階段の上にあり、いかにも、それらしい。

ただ、蚊が多そうで、長居はしたくないな。。。




















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この人の像も、やっぱりあるね。




















●宮ノ越宿の中をゆく
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橋を戻って右に曲がると、宮ノ越宿に入る。

正直、木曽十一宿の中で、一番、宿場町の面影は乏しいかもしれない・・・が。




















●本陣は、木曽路で一番古いものが現存
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幕末も幕末、最末期に再建されたものらしいが、それでも中山道が機能していた時代に使われていた建物。

木曽路では唯一というのが意外。




















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明治天皇も滞在した建物。ここに座ったのかも知れない。




















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現代の、ちょっと高めのお宿として使えばいいのに・・・と思うんだけど、

文化財としての価値が高すぎて、そういう活用は出来ないのだろうかね。




















●宿場内のストアで見つけたポスター
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7月30日、木馬(きんま)引きというイベントがあるようだ。

何人かで丸太を腰に結んだ縄で引っ張って、ゴールまでの時間か、引っ張れたキョリを競うものらしい。



お・・・

優勝賞金10万円だって

これで賞金稼げば、ポタ倶楽部の旅行の原資に出来るじゃん!

どのくらいのモノを引っ張ればいいんだろう?






















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5人1組で丸太300kg

僕向けじゃないな。

無理無理。




















●宿場を過ぎた墓地にて・・・
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ん?

なんか、この墓地、変だぞ




















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変なのは、この像。

こんな意匠の墓、今まで見た事ない。




















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まるでモアイ。

像の間に横たわる石の配置も、ものすごい違和感。

もしかして、この土地独自の様式なんだろうか・・・???




















●正面に回り込んでみると・・・
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その違和感満載の横石に、答えが書いていた.

まぎらわし~^ ^;

石の風合いから、歴史的な遺物と思い込んでいたけれど、現代のオブジェか汗




















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●中山道の中間地点発見
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江戸、あるいは平安京からトコトコ歩いてきて六十七里二十八丁(約266km)の地点。

昔は、深い森の中の地点だった事でしょう・・・。

そこからちょっと先に進むと・・・




















●相撲ドーム
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『木曽町相撲場』という施設らしい。

大きな屋根の下に、本格的な土俵の設備があって、子供たちの取り組みが行われていた。

木曽町は相撲が盛んなのかしら。

まわしの下にスパッツを履いてるのが現代っぽいね。

やりたくない子もいるだろうな^ ^;




















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風を浴びながらのんびり走り、田園地帯を抜けていく

旧道を走っている間、車の通りは皆無に近いから本当に快適。

このあたりは、ポタ倶楽部メンバーの初心者でも十分に楽しく走れると思う。



















●陸橋の下でひと休み
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日焼け止めを塗っていても顔がヒリヒリしてくる。

再び、『これでもか』というほど、日焼け止めを塗りたくったが、やはり『アームカバー』は買っておくべきだった。

さて、藪原駅からここまで、大体18kmくらい。

ポタ倶楽部で初心者も含めたグループポタをするなら、藪原からこの先の木曽福島までの約25kmくらいが

一番走りやすく、走っていて楽しい区間じゃないかと感じる



















●藪原宿の北川製菓で買っていた『手作りブルーベリークッキー』を頂く
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10枚ちょっとでで500円弱という、なかなかの値段だけあって、とても美味しい。

みるみる体力が回復していく感じ

眼精疲労も回復 多分、気のせいだと思う。




















●さらに、とろとろ走る
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次の集落に入ってきたようだ。




















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民家のすぐ近くにダム!

ちょっと、新鮮に感じる風景。





















●共同の水くみ場をいくつか目にする
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どうやら、水の豊富な地域らしい。

ここも、昔は、近所の主婦たちの、文字通りの『井戸端会議場』だった事だろう。




















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水は飲むことが出来て、ほのかな甘みを感じさせてくれる。

空になっていたペットボトルに水を入れてペダルを再び漕ぎ始める。

まもなく、次の宿場・福島宿の筈だ。






















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(つづく)