『祖父の墓参りに行くべきかな』

そう思ったのは去年、これまでとりにくかった『長期休暇』(有給)取得が推進される様になった時でした。

太平洋戦争後にシベリアで亡くなった父方のじいちゃん。親族が現地に行ったと聞いた事は無い。

そこで、終戦70年となる2015年に行こうと決めた。





僕は、じいちゃんに関して、あまり情報を持っていない。

①30年前、小学生の頃に当時健在だったばあちゃんから聞いた情報
  満州(当時)のハルピンという街で家族で暮らしていたという話。
  内容は今でも断片的には覚えているが、子供相手という事もあり、詳しい話ではない。

②ソ連崩壊によるグラスノスチが進む中でシベリア抑留者の情報が公開された時の情報
  実家で購読している『毎日新聞』のに名簿が掲載され、そこにじいちゃんの名前が載っていた。
  父親がそれを見て涙ぐんでいた。収容所の名前と番号が書いてあったと思ったが、覚えていない。

そういえば、今、どこにいるのかも知らないな・・・

『90年頃に名簿が新聞に載っていたし、検索すれば、どこの収容所で亡くなったかくらいは判るかも?』

インターネットで『シベリア+抑留者+じいちゃんの名前』で検索してみると、

まず厚生労働省のサイトが出てきて、抑留者名簿が整理されている事が判った。




抑留者名簿に改めてじいちゃんの名前を入れると・・・読みは間違っているが、彼の情報が出てきた。

名前、生年月日、出身地・・・そうか、じいちゃんの代は、まだ宮城県人だったんだ。

亡くなった日も載っていた。

真冬も真冬、一番寒い季節に亡くなったようだ。それだけでこみあげてくるものがある。

ただ、肝心の収容所は『クラスノヤルスク地方』としか書いておらず、埋葬地も判らない。

別の情報を調べなければいけないのかと思い再び検索すると、

シベリア抑留死亡者収容所埋葬者リストというサイトが出てきた。

名前で検索すると・・・『クラスノヤルスク地方 アバカン地区 チェルノゴルスク』という処に

収容された、あるいは埋葬されたらしい。

高校や大学の頃地理系の学問が好きで、クラスノヤルスクという街がエニセイ川という大河沿いにあった事は

なんとなく覚えていたのだけれど、川がどこを流れていたか、既に覚えていない。

また、『アバカン』とか『チェルノゴルスク』という地名も聞き覚えがなく、地図上のどのあたりか判らなかった。










こんな場所だった。

チェルノゴルスクはハカシア共和国という国の中にあった。

ハカシア共和国はソ連崩壊と同時に独立した自治体らしく、アバカンはその共和国の首都だった。

以上。

ウィキペディアで検索しても、旅行サイトを見ても、このエリアの情報は殆ど見当たらない。

まあ、本屋さんでもこのエリア海外旅行のガイドブックは見た事ないよな。

『出掛けたとして・・・目的地にたどり着けるのだろうか?』

躊躇してしまう。

おそらく一生行く事もない国…例えばザイールとかグアテマラとかでも、ある程度、国や社会のイメージはつく。

しかし、『ハカシア共和国』は、どんなところなのか、全くイメージがつかない。まさにイメージの真空地帯。

まあ、世界中一人旅でさすらっている様な人なら楽勝なんだろうが、僕は違う。

片言の英語も通じないエリアの可能性も低くない。

不安だ。

しかし・・・

ハカシアの画像を検索して、鮮やかな緑の平原と、その向こうに急峻な山岳に囲まれる様な風景、

そして、日本人の慰霊碑を見つけてしまった。

70年前の真冬。

この場所で、多分、望郷の思い半ばに力尽きたであろうじいちゃんを想像すると・・・

『行こう』。

行き方、判らないけど。





さあ、どうやって行き方調べよう?

まず最初の問題は、収容所や埋葬地の正確な場所を僕が知らないという事だ。

しかし、グラスノスチ以降既に20年経っている。

いくら辺鄙な土地でも、僕が訪問遺族の最初の1人という事はあるまい。

おそらく、戦没者の兄弟や息子・娘が遺族会の様なカタチでとっくに出掛けているだろう。

あるいは、今年は戦後70年だし、そういう組織が慰霊旅行を企画しているんじゃないだろうか?

それに参加出来れば、初心者の僕でも安全・確実に墓参り出来るだろう。

・・・そう考えて調べて、『一般社団法人全国強制抑留者協会(全抑協)』というものがある事を知る。

そこに問い合わせすると、担当の方が非常に丁寧に色々教えてくれた。

この協会の主催で南洋州、東南アジア、中国、朝鮮、満州、そしてシベリア等、世界中の戦没地に

やはり、多くの遺族が団体で慰霊旅行に出かけてきているようだ。

ただ、そういった慰霊旅行は以前は各地へ活発に行われていたが、

遺族の高齢化が進んだ現在は、ごく限られた慰霊地に、数年に1回程度の割合になっている様だ。

(全抑協自体も、政府からの補助金が次第に減らされてきており、活動も縮小傾向らしい)

戦後70年の今年、シベリア地方にも慰霊旅行が行われる事になったが、

残念ながら6月にノヴォシビルスク地方の慰霊旅行があるだけという。

アバカンは通らないので一緒には回れないが、途中まで同行するというのはどうかという提案を受ける。

非常に心強い話ではあったが、6月は休みが取りにくかったのでお断りすると、

この様な慰霊旅行に詳しい旅行会社を紹介してくれた。

その旅行会社に連絡をとり、自分の氏名と、事情を伝えると・・・

なんと、すぐにじいちゃんの所属部隊や明治~戦前のそれと思われる本籍地住所、詳細な埋葬地の情報、

そしてその場所を示す地図を送ってきてくれるではないか。

これにはびっくりだ。









(実際の地図は、勿論、G-MAPではなくより詳細です)

日本からの旅程だと、東京から一度モスクワまで飛び、モスクワから国内線で4~5時間かけてアバカンに飛び、

アバカンからは運転手付きの専用車でチェルノゴルスクに移動するという事になるらしい。

やはり英語は通じないエリアという事で、日本語が話せるガイドをつけてくれるプランを出してくれたが、

そういうガイドはモスクワにしかいないそうで、派遣してもらうと旅行費はほぼ50万円近くになってしまう。

さすがにキツイので、日本人の慰霊旅行の帯同経験豊富な運転手さん(ロシア語ONLY)のみつけてもらう事に。

他、現地政府を表敬訪問するプランもついていた(すごいな、と思った)のだけれど、

ロシア語のガイドさんをオミットした以上、僕がそこに行っても何も話せないので、これも省略しようか。

本当は、こういう事を省略しないで、そういう人たちとちゃんと会話する事の積み重ねの様な行為、

僕らみたいな人間が草の根で積み重ねていく事が、今後の国際社会で重要なのかなあ、なんて、

今、ブログを書きながら思ったりもするんだけどね。。。

そういったプランを削ると、旅行費用は40万円弱。

(ガイドや表敬訪問を削るかどうかは、今、改めて少し迷ってる)

いつものHISならば、もっと安く行ける可能性はあるが、こういうよく判らないエリアに珍しい用事で

出掛ける時は、やっぱりそういう業務に手慣れた会社に頼むべきなんだろうな・・・という安定感を感じた。




こんな感じで、旅の予定を立てると同時に、両親にも連絡。

最初は父親(じいちゃんの息子だ)と一緒に行くのがいいかと思い、彼もそう思った様だったが、

やや健康面に不安があるようで、僕1人で行く事になった。

また、僕はじいちゃんの事を色々知っておきたくなっていたので、

彼の略歴や人生の旅路を調べられるだけ調べて教えてほしいと両親にリクエストした。

その事が、意外な事実の発見につながるのだけれど・・・

それは、次号にて。