走行日:2014.06.08(日)
お天気:快晴
乗車:BROMPTON M6L
快晴だった6月最初の日曜日、木曽三川の河口近くのエリアをポタリングしてきました
風と日差しが強いものの、見どころは多くて走りやすいくて、
僕の様な『お手軽ミニベロポタリスト』にとってはかなりおススメのコース!
●近鉄米野駅から出発♪
『三重方面へのおでかけは勿論近鉄線で』
勿論、JRでも長島や伊勢には行けるのですが、僕は近鉄派。
大型スーツケース、ベビーカーより小さなミニベロ(折り畳み状態)の転がし移動を禁止するJR線を
好き好んで利用する必要は無いですからね。
ちなみに、ポタリングの出発地となる『近鉄長島駅』は、各駅停車の電車しか停車しない駅。
利用客が多い近鉄名古屋駅からではなく、1駅先の米野駅(各駅停車しか停まらない)を使えば、
他のお客さんの迷惑になる事も、階段などで疲れる事もなく気楽に電車に乗れます。
各駅停車の電車は基本空いているので、余程でない限り、座れない事もないでしょう。
●近鉄米野駅
電車は10分もすれば名古屋の市街地を抜け、
蟹江や弥富などといった名古屋市のベッドタウンを走ります。
20分ちょっとで木曽川を渡る長い鉄橋を越えて、木曽三川の中にある大きな中州的な長島へ。
近鉄長島駅周辺には『焼肉Café』という珍しい店が1軒あるだけで、店らしい店はありませんでした。
周辺にコンビニも見当たらなかったので駅にいくつかある自販機で飲料は買っておく方がよさそう。
ちゃちゃっとチャリを組み立てたら、気持ち良い南風の中、西の堤防方面に向かいましょう。
●長良川堤防(名古屋側)
長良川堤防(名古屋側)に立ち河口方面を眺めていると、『ふ~っ』っと、気持ち良い南風が。
この先の伊勢湾・太平洋方向から吹いてくる海風のようですね。
この堤防にそって、先に見えている長良川河口堰に向かいます。
●長良川河口堰
3回目の訪問となる長良川河口堰。BROMPTONで来たのは初めてです。
治水や利水、塩害防止などを目的に長良川河口に建設された、全長661mの大きな可動堰。
全国的には『建設に関わる賛否の話題』の方で有名ですね。
風が・・・気持ちいい
河口堰を渡って河口の方を眺めています。
左側が長良川。右側が揖斐川。
真ん中は江戸時代からの河川改修で長良川と揖斐川を仕切る為に人工的に造られた陸地(堤)。
その堤の中にある公園から再び河口堰を眺めます。
手前にある大きなゲートの様なものは、実際、閘門(ロックゲート)。
船舶やジェットスキーなどは、ここを通って上流と下流を行き来します。
堤を少し遡って『伊勢大橋』下をくぐり過ぎた後、右折して道路を少し戻ると『中堤入口』交差点から
伊勢大橋の上に出る事が出来ます。
この橋は再び渡ります。その前に揖斐川堤防(三重県側)にあるスポットを見て行きましょう。
●七里の渡し(桑名湊)跡
東海道上唯一の海路であった宮の宿(名古屋市熱田区)と桑名宿(三重県桑名市)の7里。
三重県側の湊の跡です。
宮の宿は東海道随一の宿数を誇った宿場町ですが、桑名も宮に次ぐ宿数を持つ規模だったとか。
ちなみに、この鳥居は式年遷宮ごとに建て替えられ続けてきたという事なので、
おそらく、去年新調されたものでしょう。
鳥居の前には『東海道』の文字が。
江戸時代以前、数えきれないくらいの旅人が、劣悪な江戸時代の舟で、
危険を冒して海上7里の宮⇔桑名を行き来していたんですね。
僕の御先祖さまも、記事をご覧のあなたの御先祖さまもここを通ったのかも知れませぬ・・・(*v.v)。。
桑名宿の周囲には古い料亭や旅館の様なお店がいくつかならんでいて、割と風情があります。
また、すぐ近くに『六華苑』という、とても見ごたえのある大正時代の商人の邸宅があります。
僕は前に遊びに行った事があり今回は寄りませんでしたが、立ち寄る価値のある場所です。
遊びに行った時の写真が見当たりませんでしたので、リンクを載せておきます。
●伊勢大橋を渡り、堤の中へ!
さあ、再び伊勢大橋を渡り、『中堤入口交差点』へ!
先にある対岸のように見える場所が堤で、あそこから左折していくカタチになります。
川面にはくっきりと海風の風紋。
強い追い風で、超気持ちいいライドを楽しめそうな予感
●揖斐川(いびがわ)と長良川(ながらがわ)の堤をゆく
堤に出ました!
右が長良川、左が揖斐川。水位が違うのがはっきりわかりますね!
さあ、行きましょう!
●千本松原
上流に向かい7~8kmほど突っ走ってくると見えてきたのが『千本松原』。
この一帯は、かつて薩摩藩の藩士たちが膨大な犠牲の上に築きあげた堤です。
これは千本松原近くにある『治水神社』にある看板。
今、僕が移動している状況は右側の地図の様な環境ですが、
左側にある約260年前、江戸時代の環境は、全然違う状況であった事がわかります。
当時の木曽川水系は、日本離れした東西20km程度におよぶ複雑な河口域を形成していたよう。
この地域では、古くは奈良時代から既に洪水対策の河川改修工事が試みられ、
中世には『輪中』と呼ばれる集落ごとの堤防・嵩上げの対策も行われるわけですが、
氾濫に対する根本的な問題解決にはなりませんでした。
●宝暦治水碑
江戸時代、江戸幕府は水害を根本的に防ぐ為、本格的な河川改修を薩摩藩に命じます。
それは、治水対策名目で薩摩藩に財政出動を強いて、弱体化を図る事が主目的だった様です。
1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月に工事は実施され、3河川は一応は分流され、
木曽川下流300以上の村で減災の成果が出たそうです(上流で水害が増えるという逆効果も)。
この工事中、薩摩藩士51名自害、33名が病死。
工事完了後には、薩摩藩総指揮の家老平田靱負が多大な犠牲を出した責をとって自害・・・と、
薩摩藩の無念が伝わってくる様な出来事が記録されています。
●治水神社
その分、地元の住民の薩摩藩に対する感謝はものすごかったようで、
治水神社をはじめ、石像や石碑などで、薩摩藩士の労苦を現代に伝えています。
水害の根本対策は100年以上後、明治政府お抱え外国人技術者ヨニハス・デ・レーケの手による
明治治水(1912(明治45年)完工)を経ても無くなった訳ではなく、
さらにその100年以上後の現代、長良川河口堰や徳山ダムを含めて続いています。
●木曽三川公園
国営・木曽三川公園に到着しました
追い風だったので、とてもラクだった。
日曜日はカレー曜日なので、カレーで昼食をとります。
ノドが乾いていたので、ドリンクバーも注文。メロンソーダ、ずいぶん久しぶりに飲みました。
しめて980円位也。
ここで1時間ほど休憩をとり、対岸を逆方向に走って駅の方に戻る事にします。
●長良川堤防(名古屋側)
帰りは向かい風。
ラクではないけど、このくらい抵抗があった方が運動してる気分にはなります。
ところどころ未舗装の部分もありましたが、実に気持ちの良い堤防道路
あっ
●船頭平閘門(せんどひら閘門)
1912(明治35年)に完成した、長良川と木曽川をつなぐ閘門。
お抱え技術者の三川分流工事によって、長良川と木曽川の水位差は1mにも達したそうで、
それを克服するための閘門だったようですね。
往時は年間20,000隻の船が行き来したそうですが、現在は年間200隻程度らしいです。
たまたま、見学中にジェットスキーが閘門利用で入ってきて、その様子を見る事ができました
閘門の手前に結婚式で使うようなベルがあり、
それを鳴らすと係員さんが出てきて閘門を動かしてくれます。
マリーナなどを眺めながら長良川沿いを下り、再び近鉄長島駅へ。
距離にして約30km。
時間にして見学・休憩時間含めて約4時間(六華苑に立ち寄る場合は+1時間くらい)。
のんびり走って楽しめる、とてもいいコースだと思いました
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