走行日:2010.03.21(日)

天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16




2010年の春の三連休、前から決めていた『春の京都ポタ』に行ってきました^^

実は、僕は京都を本格的に観光するのは初めてでございます。

いたるところに国宝や世界遺産が散在する街なので、巡るなら機動力があるポタがいいだろうと思っており、

それを実証する意気込みで出かけて参りました^^





















◇京都駅
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9:00頃に京都に到着。超近代的な駅舎にびっくり。

降り立った京都の地は、少し肌寒いカンジ。

団体旅行客への配慮からなのか、駅前のスペースは圧倒的に広く、DAHONの展開も全く問題ありません。


















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本日の京都の天気予報では、『6:00~18:00は晴れ』のハズだったのが、空はあいにくの曇り空。

ただ、『三連休は全国的に大荒れ』というウェザーニューズの予報も当たってはいませんでした。

まあ、僕の『晴れ男パワー』で問題無いかな・・・?































まずはDAHONで鴨川沿いを軽く流し、九条付近を通って『東寺』に向かいます。


































◇鴨川(塩小路橋)
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鴨川沿いには、予想以上に快適に走れるサイクリングロード!





















◇九条付近の下町エリア
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唐突に飛び込んできた現代京都の素の風景?

路上に洗濯機を置いて使って(しかも3つも)、雨の日とかに漏電とか大丈夫なんでしょうかね^^;

























◇東寺
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京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺院。

平安京遷都(延暦13年(794))のわずか2年後に造営が始まり、それから10年でほぼ完成したお寺。




日本の歴史を少しおさらいしてみると、平安京の前代の日本の首都は平城京から遷都された長岡京です。

長岡京が誕生したのは延暦3年(784)。

現在の京都市域の南西部で桂川、宇治川、木津川の3つの川が合流し淀川になる地点に存在しました。

平城京で克服できなかった輸送力の問題を、『水運』で克服しようとした取り組みだったそうです。

この取り組みは成功し、住民は水利の恩恵を受け、各家庭に水洗トイレが出来るレベルまで充実した

生活水準でした。

しかし、平城京時代に既得権益を得られていた者は、この動きに抵抗して様々な妨害を行ったそうです。

それが数々の政変を生み、当時の指導者であった桓武天皇は権威・権力の低下を避けるべく、

新たな都の造営と確実な成功を実現しなければならない状況になったとか。

平安京はその様な時代背景の中で誕生しました。

都を貫く朱雀門の左右(東西)には門を守る為の寺院が建てられるのですが、それが東寺の生い立ちと

いうわけです。



東寺は弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄え、中世以降は弘法大師に対する

信仰の高まりによって庶民の信仰を集めるようになりました。

昭和9年(1934)に国史跡に指定、平成6年(1994)12月には「古都京都の文化財」の一部として

世界遺産に登録されたわけですね。

千年の都を、まさに千年間守ってる寺院と言えるのではないでしょうか。





・・・遠くからでもその五重塔がはっきり見えた東寺は、お寺の周囲にたくさんの出店が。

それにしても、降り出さないのが不思議な空の色です。一応、晴れ男パワーの効果・・・?

















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東寺の周囲にある堀の中を1羽のコサギがトコトコ歩き回っていました。

「今日は21日のお大師さんだから、飛んで来てんねん」と、おばちゃんが言ってました。




















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うわ、すごい出店!どうやら骨董市をやってるみたいです。

奥に見えるのが国宝の『金堂』。




















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国宝・金堂は延暦15年(796)の創建されたものの文明18年(1486)に焼失。

現代の金堂は豊臣秀頼が慶長8年(1603年)に再興したもの。

豪放雄大な桃山時代の代表的建築でありながら、細部には唐・和風の技術も取り入れているそうです。












金堂の中には鈍い金色を放つ十二神将と薬師三尊の像が。

中でも十二神将の像は、高さ10mくらいある巨大なものです。

『十二神将』言われる像は、実は複数の像の集合体。

メインの大きい像は薬師如来で、神将たちは台座の下で薬師如来を支えています。

また、薬師如来の光背(後光)にも小さな像が7つあり、それは薬仏師をかたどったもの。

薬師如来像の前にあるお膳がちゃんと12神将の分用意されているのが興味深い。


























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国宝、五重塔。

五重塔は天長3年(826)に弘法大師が建立した後、4回焼失しています。

現在の塔は寛永21年(1644)に徳川家光が建て直したもの。

高さ55mで、国内最高の古塔。







この日は五重塔の内部に入れる日でした。

東京スカイツリーの構造のヒントにもなっているという五重塔の内部に入ると、

薄暗いフロアの中で、1本の心柱が確かに塔の軸として貫いているのがよく判りました。

そして、その支柱の四方、背を向かい合わせにした金色の仏像が蓮華の上に鎮座して東西南北に

睨みを利かせていました。

ちなみに、中に入れるのは1階のみ。

関西弁のおばちゃんが、スタッフのおねえさんに「上がれへんの?」と訊ねていました。

僕は加重の問題で無理だろうと思っていたのですが、おねえさんの説明によると、

この塔はもともとお釈迦様の骨を安置するために造られており、展望台ではないと。

塔の上に上るのは、お釈迦様の骨に足を向けて上がるという事だから、許されないのだそうです。




















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重文・講堂。

この中には不動明王、梵天、帝釈天、増長天、持国天など国宝15像、大日如来像などの重文5像

がずらりと並んでおり、圧倒的な空気感があります。

建物自体も非常に荘厳な風貌。

承和3年(835)の先代の建物は大風や地震で大破する度に修理してきたものが

文明18年(1486)の土一揆でついに焼失し、延徳3年(1491)に再建されたものだそうです。

























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東寺にいる間だけで外国人客5組+日本人客1組からカメラ撮影を頼まれました。

僕が辛うじて理解出来た外国語は英語と中国語だけですが、カメラ差し出されれば意味は判りますね。

困ったのは、僕が御朱印張に記入してもらってる時、後ろにいた外人に『何やってんの?』と訊ねられた時。

さて、僕のとぼしい英語力でなんて説明すればいいのか。



・日本にはたくさんのテンプルがある。

・旅人は『御朱印張』と呼ばれるノートを持ち歩き、テンプルでサインとレッドのスタンプをもらう。

・これらのサインとスタンプはそのテンプルにしかないものである。

・サインとスタンプは徐々に増えてゆく(と言いながら御朱印張を開いて見せる)。

・なお『朱印』の意味はレッドスタンプ、『張』の意味はノートブックである。

・まあ、一種のコレクションみたいなものだ。



・・・なんか、HEROESのヒロがしゃべる日本語みたいな文になったけど、

御朱印張の意味、大体合ってるよね^^;?
























◇桂川サイクリングロード
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奈良~嵐山までを結ぶ総延長55kmのサイクリングロード。

今日はあいにくの天気だけど、夏になったらこの道沿いの名所を辿って走ろうと思ってマス!




















◇桂離宮
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あいにく今日は休園日。管轄が宮内庁だけに、お役所仕事?






















◇苔寺付近の坂道
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ついに僕の晴れ男パワーが押し切られ、サーっと雨が降り出しました。

最初は黄砂混じりの雨が降り、やがて普通の雨になりました。

僕は古い日本式家屋の土塀の軒下でDAHONと一緒に雨宿り。



普通だったらガックリくるところだけれど、春の雨に包まれる古都も風情があって悪くありませんね。




















そして、小雨は10分程度であがり、天気はぐんぐん回復してきました\(^o^)/

やっぱ晴れ男パワーは健在だ♪

この後、古都の快適なポタリングを楽しめたわけでございます(-v-)










つづく





music by Zelda: Ocarina of Time - Piano Medley