走行日:2008.09.07(日)

お天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16





●時代的なもの
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常夜燈。明治初期のモノと見ましたが、ランプを置いたのかな?どれほど暗い夜道だったのでしょうか?
でも、空を見上げれば、満天の星だったんだろうなあ・・・







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植樹記念碑。大正4年と書いてあります。22年前に亡くなったばあちゃんが1歳の頃の出来事かあ・・・。








●居住エリア
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ここ(手前)は操業当時、フランス人技師の男性が暮らしていた建物との事です。
内装も洋風の造りとなっていて、勿論、その当時では珍しい空間だったようです。今見ても、ちょっとおシャレ。






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コチラはフランス人の女性技師の宿舎らしいです。突き当たりは日本人の男性宿舎の入口になってた様に
見えたけど、だとすると、当時だろうが現代だろうが、男女の区別をはっきりつける日本の構造としては
ちょっと珍しい気が・・・。僕の見間違いか?







●作業場
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歴史を感じさせる佇まいの作業場。









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ああ、なんか懐かしい・・・そうだ、僕が通った小学校に似てるな。
僕が通ってた頃はまだ明治時代の校舎が残っていて、こんな造りでしたね(´ー`)









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作業場に女工たちが携わった工程の面影はありません。
なにしろ、ここはつい20年ほど前まで現役で稼動していた工場なのです。
そして、もう、動く事もありません。このまま時を止めてゆく。









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作業場にはとても大きな写真のパネルが飾られていました。
和田英(1857 - 1929)
自宅に帰ってから調べてみたところ、製糸場の初期に働いていた女工さんのひとりで『富岡日記』なる
詳細な日記を遺した方だという事が判りました。
読んでみると、働きながらぼんやりと思った事やいたずらした事などまで書きとめられていて、実に面白い。
そして、この工場で彼女たちがどのようにして技術を学んでゆき、それを郷里で伝えていったのかの流れが
手にとるように見えます。








●医院
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大きな工場には大きな医院も。療養施設と思しき建物も別棟にあり、充実した医療環境があった事が伺えます。








●その他、散策
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誰かが手書きで書いた札をココに貼り付けた。
ただ、それだけの事に、あたたかみを感じるのは何故なんだろう?













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近代日本の発展の一面を知るのに、非常にためになる歴史遺構ではないでしょうか。
ここで働いた女工たちの技術は、全国に散り、民間企業の中でさらに効率性と精度を高め、逆輸出されて
日本経済を支える一大産業になったわけですね。

なお、明治時代にこの工場を払い下げられ、20年前まで操業してきていた片倉工業は、現代では不動産、
ショッピング、バイオ技術などで活躍する一大企業になっています(´ー`)









富岡製糸場、上信電鉄のサイクルトレインに乗り、ポタで行くのがおススメですよ~(^▽^)