●2018年11月3日 8時10分、僕は・・・
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会社のチームメンバーがプレゼントしてくれた輪行袋に包まれたBROMPTONくんとともに、名古屋駅にいた。

この袋、海外ポタの時はもったいなくて使わなかったものだ。

今回、ポタ旅に向かうは・・・








●木曽路ッッ!! ※写真は3か月前の2018年8月にポタした際の妻籠宿

「木曽路」とは平安京と江戸を結んだ中山道における馬籠宿(まごめじゅく)~贄川宿(にえかわじゅく)の区間。

江戸時代に整備された街道筋で、唯一、「往時の面影を留めている長い区間がある」と言われる…(*v.v)。。




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「なんだ、またかよ!」 ・・・と思う方も多いかも知れない。

しかし、好きなんだから仕方ない。

そして、今回の目的は・・・







●「木曽路完走」ッ!!
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実は、「好きだ好きだ」言っておきながら、僕はまだ「贄川宿~薮原宿(やぶはらじゅく)」をまだ走ってない

何故かというと、この区間に馬籠峠より高い「鳥居峠越え」があるからだ。

贄川から走り出すと、「最初」(鳥居峠1,197m)と「最後」(馬籠峠801m)で峠越えをしなければならなくなる。

木曽路の長さは22里(約88km)で、ロードバイクに乗りなら半日少々で走りきるのかも知れない。

しかし、「自転車がBROMPTONで乗り手が僕」では、1日ではとても帰ってこれない・・・ヤメヤメ





・・・そして、気づいた。

「2日間で走ればいい!」

・・・ようは、昔の旅人の様に、途中の宿場で休養すれば良いわけじゃん

宿場にある宿屋に泊まれば、旅の情緒もより味わえよう






●「行くぜ、信濃國へ!」
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1日で走り切る必要ないから、朝もゆっくりでOKだ

紅葉シーズンの臨時特急「ワイドビューしなの51号」のチケットを購入し、木曽路へと向かう。

JR名古屋駅→塩尻駅 5,700円也(特急料金・指定席料金込み)





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(1)塩尻~贄川宿 篇





●見慣れた木曽福島付近の風景・・・
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このへんは、仕事でも遊びでもよく来る場所で、いかにも木曽路的な谷あいの風景だなあ、と思う。








●電車に揺られ2時間10分ほどたつと・・・
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おおっ、山がどんどん離れてゆくぞ・・・








●おおお・・・
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ついに、山が見えなくなり、平野になった。

まさか、木曽路の北側がこんなになっているとは









●・・・約20分後、塩尻駅到着
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当初の出発予定地「贄川宿」から20kmくらい離れたトコまで連れて来られたような気がする。

例によって、計画が大ざっぱすぎたか







●跨線橋をのぼると、案内板の色に違和感
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ああ、塩尻駅ってJR東日本管轄の駅なのか

名古屋に来て10年目、JR東海のオレンジ色の案内板にすっかり慣れて、東日本の緑色が新鮮に見える。








●それでは、塩尻駅から出発だ
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ロマン探求ポタ2018で各部にダメージを受けたBROMPTONくんも、修理を終えて完全復活

ちなみに、夏にMハンドルに戻していたものを、再びPハンドルにチェンジした。

ロマンポタでパレスチナの丘陵地帯を走っている時、Mハンドルに戻したのを後悔したため。







●走り出してすぐ、ブドウ畑地帯に突入する
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塩尻と言えばワイン(*v.v)

その畑の向こう、南方向10km以上先に、両側を山に挟まれた谷の部分が見える。

なるほど、たしかに「木曽路はすべて山の中である」






●走り始めて10分と経たずに、初めて目にする名前の宿場に到達
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「せばじゅく」と読むらしい。








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看板のそばに宿場町は無い。

多分、ここはバイパスで、宿場を通る道は脇にでもあるのだろう。

「木曽路区間」ではないので、無視して先に進む。








●『木曽路を完走したら、次は長野県内の中山道なども旅してみようかしら・・・』
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そんなことを考えるくらい、のどかで、いい雰囲気








●しばらく走ると、また、知らない宿場に行き当たった
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本山宿(もとやまじゅく)は、木曽路の入口である贄川宿の、ひとつ手前の宿場のようだ。

「そばきり発祥の地」という。







●大小たくさんの石碑や地蔵尊などが置いてある
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ちょっと見ていこう








●庚申塚や二十三夜塔など、民間信仰の石碑も目に付く
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これらは月に1度の月待講で悪霊払いする際に使っていた供養塔で、全国各地でまだまだ現存している

誰もが、朝起きてから夜寝るまでの全ての時間を「生きる為の仕事」に費やしていた時代、

講の夜は、村人同士でささやかな酒食を楽しめる時間として機能していたそうな。








●スグ近くにあった案内板によると、この2基は馬頭観音らしい
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アタマの上にタテガミの様なものが見える

案内板には特に書かれていないけれど、馬頭観音でよく見かける形態だったはず。

風に揺れて様子が再現されているみたいで、江戸時代の石工さんのこだわりを感じる。







●本山宿には古い建物も残っていた
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木曽路でもよく見かけるタイプの家で、「登録有形文化財 川口屋・池田屋・若松屋」とある。

案内板によると、関ヶ原の合戦に遅参した徳川秀忠が開戦当日にいたのはこの宿場だそうだ

彼は、信州・上田城の攻略に手こずって、家康の招集にだいぶ遅れてしまっていたみたい。

目的地の関ヶ原までは余裕で150km以上ある。マズイよ、秀忠






●・・・僕もあまり余裕かましてはいられない
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目の前に山が迫ってきて、木曽路っぽくなってきたぞ







●・・・しかし、おかしい
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そろそろ「是より南 木曽路」の石碑があってもいいはずなのだが・・・







●・・・どうも、見落としてしまったらしい
(wikipedia画像より)

これは、木曽路の南端にある馬籠宿の「是より北 木曽路」(島崎藤村の筆による)と対になるものだ。







●残念~
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この先はもっと注意深く進んでいこう(*v.v)。。








●木曽路ポタテーマ曲(*v.v)。。 NOMADIC NATION 2「Esperanza LONG」(KONAMI 2014)









●クルマが一台も走ってこない道をのんびりと進み・・・
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●15kmくらい進んできたところで、グミとお茶をつまんで小休止
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●二股に分かれる場所では、当然、古い道を選ぶ
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まあ、ようはこういうところを通るから、1日では走破できなかったりするわけだ。









●ここにも石碑がたくさんある
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回國六部・・・西国巡りみたいなものの一種だろうか?

文化三年・・・江戸時代後半の中頃のものだ。








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明和二年の「西国巡礼供養塔」と宝暦八年の「二十三夜供養塔」・・・やはり、江戸時代後期の年代だ。

時代順にすると 宝暦→明和→文化 ・・・だったと思うが、ちょっとあやしい。

今後、木曽路を旅する時は「江戸時代年表」を持ち歩くと楽しいかもしれない。









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このあたりの道は、もしかすると江戸の頃と同じルートかも知れない








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眼下に道路や鉄道がない画を想像して、江戸時代の旅を偲ぶ









●そして、贄川駅に到着
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最初からここで降りていれば、よりラクだったろう。

でもまあ、「木曽路までの道の雰囲気」が判ったのは非常によかった







●贄川宿
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中山道33番目にして、木曽路ひとつめの宿場、贄川(にえがわ)に到着

昔、温泉が湧いて、川に流れ込んでいた事に由来する名前らしいが、残念ながら温泉の痕跡は現在は無い。

初訪問の宿場だ。









●少し進むと、線路の向こうに何か見えてきたぞ
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どうやら、関所っぽいな。







●贄川関所
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木曽路通行の際に白木改め(大切な木曽の木材が不法に持ち出されていないか)や、

女改め(江戸に人質的に入っている大名家の女性が勝手に抜け出していないかの取り調べ)が行われていた。

実際は現在の鉄道敷地内にあったらしい。

本物は明治期まで現存していたが取り壊されてしまい、後に、図面を元に精密に再現したものだそうな。









●町の造りに宿場の面影があった贄川宿
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残念ながら、古い建物はそれほど残っていないものの、「雰囲気」は結構ある。

もし、木曽路筋の古い温泉街として現存していたなら、まったく違う状況になっていた事だろう。








●さあ、ここからが木曽の旅
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次の奈良井は有名な宿場。

お昼ご飯を食べながら、どこの宿場に泊まるか決めて、予約することにしよう。








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(つづく)