●2018年9月19日 6:00(イスタンブール現地時間)
ホテル エレファントガラタで、いつもと同じ時間に目覚まし無しでキッチリ目を覚ます
テルアビブの初日から僕の体内時計は正確に機能している。なかなか大したものだ。
シャワーを浴びたり、所用をこなしたりして、7:00頃に部屋を出る。
●この時間、フロントには誰もいない
このホテルが何故”エレファント”ガラタなのか、誰かいる時に訊いてみたい。
●”別行動中”のBROMPTONさんは、今日中にホテルに届く予定
なので、今日は朝から徒歩+公共交通で市内を周遊、夕方、ホテルに戻ってBROMPTONさんと合流し、
その後夜にかけて、少しばかりボスポラス海峡沿いの夜ポタを楽しむ
とにかく、合流するまでの間、BROMPTONさんに言われた様に『休息』を楽しむ事にしよう。
⑰
(トルコ) イスタンブールの休息(*v.v)。。 篇
●ホテルから旧市街をトコトコ歩いて、ガラタ橋までやってきた~♪
今日(水曜日)はトルコでもフツーの平日だが、ラフな格好で出勤する人、ランニングやウォーキングをする人、
そして、釣りをしてる人など、人の営みに多様性を感じる。
尤も、釣り人は釣果を販売してもいるので、単なる遊びでもなさそう。
●まず、渡し舟でアジア側に渡り、海峡両岸の雰囲気の違いを感じてみたいと思う
僕がいる場所は、『シルケジ駅』というイスタンブールのヨーロッパサイドのターミナル付近。
シルケジはかつてオリエント急行の始発・終着駅でもあった。
一方、対岸にはアジアサイドのターミナル『ハイダルパシャ駅』があり、中東や西アジアと路線がつながる。
ヨーロッパとアジアを行き交う旅人は、海に隔てられた両駅を結ぶ『連絡船』で往来していたというわけだ。
現在でも『渡し舟』としての航路はある様だったので、それを使いたいと思っていたが・・・
●乗り場のじいちゃんスタッフ:「今、ここから出るのはハーレム行きの船じゃよ!」
・・・どうも、ハイダルパシャへの航路はお休みらしい。
●まあ、仕方ないか
ほどなく改札が始まったハーレム行きの小さなフェリーに乗り込む。
●ガラタ塔が建つ旧市街の景色がなかなかいい感じ
『ついに、アジアとヨーロッパを分かつ海峡の景観を船上から見れるぞ』!
デッキで一番よさげな席をキープして出航を待とう・・・。
・・・と、席に座った瞬間、時差+6時間の日本から緊急の業務相談
デッキでVAIO Zを広げて対応する事20分・・・
●ああっ
気が付くと、アジア側の『ハーレム』乗り場に着いてしまっていた
●一つ片づけたと思ったら、別の相談が入ってくる
現役なので当然だ。実際、毎日チームメンバーや取引先からのメールをチェックして対応をしながらの旅。
今度は、ハイダルパシャ駅に向かう途中の大型トラックプールのコンクリに腰掛けて20分で片付ける
『…しかし、こういうインフラが整っていなかった時代の”現役世代の旅”ってどんな感覚だったんだろう?』
世界を劇的に変えたケータイやネットの出現、それ以前の生活をリアルに想像するのは、もう、僕らには難しい。
●アジア側の街並みと、ヨーロッパ側の街並みの違いは、僕にはいまいちよく判らなかった
細かな差異をひと目で捉えるのが得意な『珍スポ旅』のYなら、多分、何か気づくのだろう。
まあ、ワゴン車みたいな小さなバスがやたら走り回ってガチャガチャしているのくらいには僕にも判るが。
・・・と、朝から7kmくらい歩いて、おなかが空いてきた
●海沿いのカフェでサバサンドを頂き、体力と気力の回復を図る
ちょっと食べにくいが、なるほど美味しい
ほんのり塩気でサバの旨味が引き出されていて、日本人に人気が出たのが判る。
そして、XPERIAも旅出発前にYからもらった高性能ポータブルバッテリーで急速充電!
(今回の旅、Yからこのバッテリーをもらってなかったら、予定通り帰国できなかったと思う)
●午前中の立寄地・およそ150年前建設のハイダルパシャ駅に到着
あれ?
工事中か?
『GAR』はトルコ語で『駅』の意味らしい。入ってみよう。
●アジア方面に向かう列車のホーム
ここが東に向かってひた走る列車の始発プラットホームか
しかし、ホームには立ち入れないみたいだな。
●あれ?
レールが全然無い。
・・・実は、2013年にボスポラス海峡海底下を横断する『ユーラシアトンネル』が出来た事により、
アジア側のどん詰まりにある連絡船ターミナル駅・ハイダルパシャは不要となり、廃止になったそうだ。
●今後はホテルだかミュージアムだかになるそうで、改装工事の真っ最中
アンカラなどトルコ国内や、シリア、レバノン、イラン、イラクなど国際列車のターミナルだった頃、
それらアジア方面から来た旅人は、この木製のドアを通り・・・
●ホールを通って直結する乗り場から連絡船でシルケジ駅に渡り、ヨーロッパに向かったわけだ
この駅が稼働した約140年の間でも旅のスタイルはだいぶ変わったろうけれど、
ヨーロッパ⇔アジア間の旅模様って、どうだったんだろう。
例えば50年前の1968年(昭和43)や、100年前の1918年(大正7)、あるいは末期の10年前。
ちなみに、50年前は僕の両親が今の僕よりずっと若かった頃で、時代の出来事としてはプラハの春、
100年前は会った事が無い曾祖父母が若かった頃で、世の中は第一次世界大戦の最終盤だ。
●50年前は旅情報も国際電話も不十分で、100年前に至っては電報と手紙しかなかった筈
『圧倒的未知』だらけの時代だから、不安も、困難も、発見も、感動も、僕の旅の比では無かったろうなあ。
僕の旅は、平和な時代、頼れるインフラ、『十分な事前情報』に満たされているからな。
・・・さて、ヨーロッパ側に戻るとするか・・・って、あれ?ハイダルパシャの船着き場が無いぞ?
●係員のじいちゃん:「対岸に渡るなら、今の船着き場はあっちじゃぞ」
マジかよ 事前情報、足りない。
●ロマン探求ポタ2018(*v.v)。。前半テーマ曲 KONAMI Pop'n Music(2010) ♪The Sky of Sadness
●1km少々をトコトコ歩いて、アジア側の船着き場『カドキョイ地区』に到着
おお、ここのエリアは対岸に劣らぬ賑やかさ
●係員に訊ねたところ、『シルケジ』への航路は無いそうだが近隣の『エミノニュ』への航路はあるという
あるいは『メトロ』利用になるそうなので、ノータイムで船を選ぶ。
●さらばハイダルパシャ(*v.v)。。
本当は10年前に君の街に来ていたかったんだ。その頃なら、現役の君を見れたんだろうにね。
●ここから20分程度は海の上
アジア側の街並みは、丈が低くて住宅地域といった感じ。
今、海峡地下の交通インフラが劇的に変わりつつあり、これからアジア側の再開発が進むのだという。
●乙女の塔
12世紀に建てられた要塞だが、税関の監視所、灯台、検疫所など時代時代で様々に利用され、
現在はカフェ・レストランになっているそうだ。
●くそ、BROMPTONさんと渡りたかった
BROMPTONさんが戻ってきた今夜、その為だけに渡る判断をするかどうか悩ましい。
XPERIAで夜の海峡上で撮影しようとしても、揺れの影響でマトモな写真にならないだろうしな。
●旧市街が見えてきた
ガラタ塔北側の、割合静かな場所に宿泊したのは正解だったと思う
トルコはカッパドキアやアンカラ探訪で再訪すると思うので、その時、また、あの辺りに泊まりたい。
●そして、スルタン・アフメット地区が見えてきた
午後に探索するのは、この街の観光ではド定番と思われるこの地区だ
やっぱ、ブルーモスクやアヤソフィアくらいは見学していかないとね。
●・・・と、そのエリアに向かう途中で
アキハバラに迫るのではないかと思う規模の電気街を発見!
さらに・・・!
●なんと、大きな自転車街と隣接していた!!!
なんという幸運!!僕の為に出来た街かよ。
・・・まずはデジカメ専門店を中心にPANASONIC製GX-7のバッテリーアイテム取扱有無について、
続いて良さげなチャリショップ中心に部分破損しているBROMPTONさんの修理の可不可について、
1時間以上店員に訊ね歩く・・・。
●成果はゼロだった
この旅の中でぶっちぎりの巨大都市・イスタンブールの専門店街でこれでは、
LUMIX GX-7の復活も、BROMPTONさんの修理も、やっぱり難しそうだ。
●まあ、仕方ない・・・
BROMPTONさんにつける小さな花飾りのつもりで、ライトを購入。1600円くらい也。
帰国したら、SUBARUエディションのVOLT300を買い直そう。
思えば、海外ポタの度にVOLT300SUBARUエディションは紛失していて、次で3本目だ。
●ブルーモスクまでもう少し
こういった景色は、ブログで掲載した時に「ああ、この坂道懐かしいな」なんて思う方もいるんだろうなあ、
・・・とか思いつつ、撮影している。
狭い通りを自動車とトラムが走るってところは面白いよね。
そして・・・
●ブルーモスクに到着・・・!
【世界一美しいモスク】と言われるだけあって、想像以上に見事!
『早速見学を・・・』
「いい写真撮れました?」
・・・到着して30秒も経たずに、1人の青年が声をかけてきた。
KOU:『ん?日本人・・・なのか??』
謎の男:「フフフ」
近づいてくるその男こそ、僕やBROMPTONさんの命運を大きく左右する”きっかけ”を作る人物なのだった。
(まあ、この時点では彼自身も知る由もないが)
この後、Yいわく『カモがネギしょって歩いてるみたいな僕』に、トルコ商人の話術が炸裂!
そして、トルコ商人たちのテクニックが明らかに!
次回:「魅惑のトルコ絨毯」 篇
■ロマン探求ポタ2018(*v.v)。。INDEX
Ⅱ.トルコの章
Ⅲ.ハンガリーの章
Ⅳ.ルーマニアの章
終章
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