●Unit 731 museumからホテルまではタクシーで移動
ここはタクシーなどなかなか通らない郊外だ。
根気強くタクシーを探して、博物館近くの食堂前で休憩中のタクシー運転手を見つけて声をかけた。
大連の小料理店『泉』のママさんが書いてくれた、『このホテルへ送ってくれ』というメモを見せると、
こちらの意図は一発で相手に伝わったが、どういう理由か分からないが、彼自身は乗せられないらしい。
『困ったな・・・』と思っていたが、何やら、彼が通りに出て行きかうクルマを眺め始めた。
彼曰く「あんたじゃ無理だろうから、俺がつかまえてやるよ」・・・と、15分ほどかけてタクシー探してくれた。
前回の旅でも今回の旅でも感じることだが、この国は割と人懐っこく親切な人が多いお国柄と思う。
●ポタ中に気になったゴチャゴチャした街を通過
今回の旅では探検する時間が無かった。
この国の田舎町は、また改めて探検してみようと思う
●40分ほど走って、本日投宿する龍門貴賓楼ホテルへ
先日宿泊した大連賓館同様、かつて満州鉄道グループが経営していた『ヤマトホテル』の一つだという。
詳しい説明はwikipediaに譲るとして、目下、僕が気にしているのは、
『反日感情MAX中のMAX』と言われるタイミングで、日本人客の僕がスムーズに泊まれるのかという事だ
●とても感じのいいフロントさんだった
20歳そこそこくらいのとてもかわいらしい女性スタッフさんが、僕の予約票を確認して笑顔で迎えてくれた。
日本語も英語も全く話せないようだったが、彼女自身のスマホを立ち上げ、音声翻訳を使って、
ニコニコしながら親切にホテルの案内を色々してくれる
●『いいホテルじゃないの』
ほっこりした気分で自室に向かう。
現役稼働の文化財というだけあって、このホテルも雰囲気は抜群にいい。
100年前の高級ホテル時代には、ここもやはり僕の身分で泊まれるホテルではなかったろうが、
3つ星ホテルとなっている現代であれば楽勝で泊まれる(日本円で7,000円少々)
ガチャ。
おお、お部屋もなかなかいい感じ
大連賓館の様な『部屋の傷み』は見当たらない。
一泊程度にはちょうどいいコンパクト&ゆったり感を感じさせてくれる部屋だ。
バスルームもキレイで、『弟切草の洋館』の様なイメージも皆無。
廊下ですれ違うホテルスタッフさんたちもとても感じがよく、『ここ、いいなあ』と感じた
●さあ、哈爾浜市内を探走しよう
この旅最後にして、最大のミッション。父親の記憶の中にある『大成街』を訪ねてみよう。
『大成街』はホテルからほど近い。
行ったところで80年前の痕跡など何も残っていないのだろうが。。。
吉林街という路地だ。
こんな商店が立ち並んだ路地が無数にあり、街の中での位置関係は、外国人にはなかなか覚えにくい。
●哈爾浜市南崗基督教会
1919年に建てられたプロテスタントの教会だそうだ。その前身は、1904年にドイツ人が建てた教会という。
1919年は大正8年だから、僕の祖父母が来るだいぶ前からここにあったという事になるね。
そのすぐ隣に・・・
●生神女庇護聖堂
こちらは正教会だ。
1902年にロシア人墓地に付属する祈祷所として建設されたのが始まりらしい。
1922年に鉄道建設や義和団の乱、日露戦争で落命したロシア人を慰霊するものとしてロシアの鉄道局が建設、
1930年(昭和5年)に現在の石造りの建物となったそうだ。
僕の祖父母がこの街に来る5年前に、この建物は落成していたという事になる
●焼き芋売りのおばちゃんをヒラリと躱したりしながら・・・
混雑する道をのんびり漕ぎ続けること10分・・・
●あっ!
これか!
●大成街に入った
旅に出る前、父親やその姉が言うには、『もう、昔過ぎて満州の思い出は殆ど無い』という。
『大成街』という地名も、忘却の彼方から父が辛うじて呼び起こした『破片』の様なものでしかない。
それでも、こうやって異国を訪ねて『本当にあった』というのは、感慨深いものがある。
たとえ、googleマップで事前に存在を調べられた場所だとしても、だ。
とはいえ、この通りの成立経緯や、昔ここにどんな建物があったのかなど、僕には一切判らない。
旧満州国の古地図を購入して、色々調べてからくればよかったんだろうけど、なかなかその時間もなく。。。
例えば、『こんな坂道は、80年前から変わらない痕跡のひとつだろうなあ』と思いながら、
ブラタモリの様に探訪するのが精いっぱいなのであった・・・
●途中、異常に混雑している一角が
政府に対するデモでもやってるのか?と思ったら、小学校に通う子供を迎えにきたパパやママが、
子供の下校時間前に学校の周りをぎっしりと取り囲んでいたという光景だった。
『子どもはほったらかし』の様なイメージがあったのに、真逆じゃないか。
『へー』と思いながら、先に進む。
古そうな建造物・建築物は、この煙突くらいかなあ・・・。
これとて、80年前からあるかどうかは、かなりあやしい。
●この川の流れも、じいちゃんばあちゃんやその子供たちは眺めていたのだろうが
当然ながら護岸などはキレイに整備されている。
当時の面影があるのかどうか、僕にはわからない。
その川沿いの道を、祖父母の家族は手をつないで歩いていたのかも知れない。
・・・そんな遠い昔の夕焼けの絵を想像しながら写真を撮っていたが、『これ以上は無意味かな』と思い始める。
僕の旅に戻ろう。
さようなら、大成街。
川沿いの公園では、ムチでコマを回すという達人的な遊戯を嗜んでいるおじさんたちがいた。
『達人的』と書いたが、この遊びはおじさんたちに流行っているようで、市内で何回か見かけた。
ひなびた街角をのんびりと走る( ´ω`)
いいなあ、こういう何でもない街角や、自然の中を、頭カラッポの状態で走っている時が、一番気持ちいい。
●少し走ると・・・
お?
何やら、にぎやかに出店が並んでいるぞ・・・
●夕食を売り出している屋台だった
なるほど、惣菜のはかり売りか。
日本では色々問題も出ているが・・・
なかなか美味しそうだね
そういえば、朝、屋台で食事をした後、何も食べてなかった
これまた、かわいらしい女の子が店番していて、「買ってきなよ」と声をかけてくる。
しょうがないなあ
量り売りの注文はなかなか難しかったが、ワンダーテレホンを使って楽しくやりとりできた
ホテルに戻って、つまむ事にしよう。
●ホテルに戻ってきた
龍門貴賓楼は、2階建てで背の低いホテルだが、奥行きは広くて、そういう意味でも時代を感じさせてくれる。
●小姐から購入した惣菜を肴に、ホテルで一服
やれやれ、ようやく少し休める
ビールは帰り道に商店で買ってきていた。
薄くて飲みやすく、個人的には美味しかった。
そして腸詰、本当に美味しかった
●ホテル2Fの階段ホールにあった地球儀
極東アジアって、ミサイルパカパカ撃ってる国があったり、領土問題があったりで政治は色々あるけど、
一般市民の立場からすると『世界で屈指の平和エリアでよかったなあ』と心から思う。
戦争はいかんね、ほんと、そう思うわあ。
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次回:その12 さようなら哈爾浜 篇(完結)
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